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気持ちは自由

『親が毒』という感覚、親との関係が良好な人には到底わからない感覚だ。

「親は大事にしないと」
「親がいなくなってから親孝行しておけば、と後悔するんだよ」
「親の老後は子供が考えないと」
「育ててもらったんだから、親には感謝しないと」

そんなことを言う方々は、幼少期から至極幸せな人生を送ってきたのだと常々感じる。
もちろん紆余曲折あるのが人生なので、つらかったことや悲しかったこと、苦しかったことなど、それぞれの人生の物語があり、辛酸舐められているのだということは十分理解している。
私の言う意味は、『一番身近な存在が自分の一番の味方で応援してくれ、安全地帯となる場所があるということがものすごく幸せだ』ということ。

自分の好きなことを受け入れられ、やりたいことを応援してもらえ、時として言い合ったり親だからこその反対をしてくることがあっても、絶対に裏切られる心配がない安心できる存在がいることが、私はとてつもなく羨ましい。


私は好きな人、好きな芸能人、好きな食べ物、好きな音楽、好きな映画、あらゆる好きなものを否定され、将来を真剣に考えれば甘いだのなんだのととにかくダメ出しをされ、幼少期から否定の連続をされてきた。立派な精神的虐待に該当する。

うちの毒親エピソードのひとつに「これも立派な教育虐待ってやつだな」と感じることがある。

私はそこそこの大学を一応卒業しているが、じゃあ自分がそこで本当に勉強したかったことを学べたのか?
答えは否だ。
私は考古学に興味があった。自分の好きな時代の考古学の研究ができるパラダイスのような場所を追い求めていたにも関わらず、
「鈴葉は周りに男の子がいない方がいいから、女子大。英語好きだから英文科ね!」
と母が決めた。
もちろんそんなことを勝手に言われても納得できるわけがない!
そこで毒親たちが言い出したことといえば、
「言うこと聞けないから学費は出さない。出ていけ。」
じゃあ出ていく、という話しにしたことだってもちろんあるが、
「親を脅すのか!!(逆上した父と親不孝ものと泣く母)」と怒鳴られ、女子大の英文科という条件を飲むまで軟禁状態が続いた。

私には姉がいる。
摂食障害になり、重度の鬱病やその他色々併発、しょっちゅう自殺未遂をし、閉鎖病棟に幾度となく入院させられている姿をそばで見ていたこともあり、当時は余計親には逆らえなかった。

無事卒業式を迎えた当日、
「大学まで出してやったのに、感謝が足りない。」
と父から言われた。
『感謝が足りない』これもよく言われた。
感謝というのは強要されるものではなくて、自然と沸き起こる感情のひとつだ。
感情、想い、気持ちはすべて自由である。
感情までも支配したがる、このタイプもまた毒親の姿。
私は感謝ができない愚かな人間ではない。感謝している時には言葉にも態度にもしっかり出して、相手に感謝の意をきちんと伝える。

否定しかしない親だと、不思議なことにそれだけで自分にとって絶対的味方でなくなるし、安全地帯だと思えなくなる。常に心は不安定、疑心暗鬼、絶望を感じている状態だと言っても過言ではない。

絶対的味方は最強な存在で、だからこそ自然と『親を大事にしよう』と感謝の気持ちと共に芽生えるんだと思う。
気持ちは自由、残念ながら私は今のところ芽生えていない。

一般的な価値観や常識というものが親子関係や育児にもあるのなら、そこから逸脱した接し方を親からされてきた者たちが同じ価値観や常識を持たなくても何ら不思議ではない。
『親を大事にしよう』という価値観や常識を、世間が無意識に押し付けないでほしいなと感じている。


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