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楽屋で、幕の内。|猫飼い戦記 タニー、アゲイン。(植物との共生編4)Aug.29

誕生日が、戦いの始まり。
映画のキャッチコピーみたいなことが起きた。

夏休みが終わった頃が私の誕生日だ。日中は暑いが、たまに秋風っぽいものが肌をなでる。その日はたまたま休日で学校が休みだった。こっそり外出して、帰宅した息子が真っ黒に日焼けした顔で、真剣な表情をして「目をつぶって!」と言う。

言われた通りに目をつぶると、「手を前に出して」と言う。
「なにかなあ」と両手を出すと、「手のひらは上に向けて」と言う。
ずっしり何か固いものが乗る。「目を開けていいよー」。

恐る恐る目を開くと、観葉植物の鉢が手の上にあった。多肉植物だ。茎の先端には薄いピンク色の花のつぼみたちがアジサイのように集まり、3、4個はもう花開いている。初めて見る花で、瑞々しく元気だ。

「お母さんには植物がいいかなぁ、と思って選んだ」

と、はにかみながら告げる息子。

「…わぁ、嬉しい! 有難う」

にっこり笑顔でお礼を言いながら、私の頭はスパコン京(当時)並の高速計算を始めた。「こいつは…まずいな。いかに奴から守り抜くか」。奴、つまりうちの猫から植物を守るミッション、いきなり開始である。

植物の名前はカランコエ。「育てやすい多肉植物です」と鉢に挿された名札に合わせてそう書いてある。この言葉に何度裏切られてきたか。

家族全員うちの猫の不埒な悪行三昧は知っている。早速対策チームが立てられた。

「今は観葉植物に気付いてないけど、水やりしたらおしまいと思う」

と、私。同じ多肉植物だった、うちの猫にやられたタニーちゃんの経験がここで生きる。君の死は無駄にしない。水やりで土が水に触れたフレッシュな土の香りで猫は植物がある、獲物があると気付いてしまうのだ。まったく、どこの血に飢えたサメだ。

「猫の手が届かない場所に置けばいい」

息子の意見、却下。息子はこれまで他人事だったので、いまひとつ恐ろしさが分かっていない。タニーちゃんを匿った食器棚、アジサイのサンクチュアリになるはずだったベランダ壁面。我がチームの防衛拠点は無惨に壊滅状態だった。

結論は出なかった。とりあえず猫に気付かれないために偽装工作だ。『家族全員カランコエに視線を向けない』とルールを決めて、窓際の白い、腰の高さの棚に置いた。息子からのプレゼントの話をしたいところだが、ダメだ。ぎこちない笑顔でいつもの家族を演じる、立てこもり犯に強要された人質のように、緊迫した空気の中で誕生日ケーキ(関係ないが私の自腹)を食べる。めでたいのか、おいしいのかちっとも分からないまま、私の誕生日は終了した。

それから数日後、まだ猫はカランコロンちゃんに気付いていない。息子が「カランコエ」を覚えきれず、「カランコロン」と言っていたのが面白かったので、そのまま訂正せず呼ぶことにした。ちなみにこの話から2年経過しているが、息子は最近まで「カランコロン」が植物名と思っていた。

いくつか花が開きはじめた。花は咲くと香りがする。ユリやバラのように強く香らなくても、植物の微妙な変化を猫は繊細に察知する。しまった、猫が私を見ていた。私の視線の先を追い、「あ、何それ」とカランコロンに向かって向こうの部屋から近づいてくる。

とりあえず、敵を拘束(猫を抱っこ)だ。

「あらー? あらあらー? かわいい猫ちゃんがきましたねー」

抱っこして気を逸らす。よかった、カランコロンちゃんのことは忘れたようだ。しかし、抱っこしてごまかすにも限界がある。どうしたらいいんだろう。

そして数日後。猫が白い棚の上にいる。カランコロンに顔を近づけて匂いを嗅ぐと、葉を噛み、ブチッとちぎってはペッと吐き出している。スキ、キライ、スキ、キライ…。花占い並のテンポの良さに、放心してと最後の一枚まで見届ける気になっていた。催眠術にかかるときはこんな感じかもしれない。危ない、見てはいけない、見てはいけない。

逃げ場のないカランコロンは、毎日つぼみと花と葉をちぎられ続けた。棚に散乱するカランコロンの花と葉。花占いで毎日何を占っているのか、猫。なすすべもなく、猫抱っこか「ダメ!」というしかない私。どこに移動させても猫が襲うので諦めていた。

季節は秋から冬に移りつつあった。約2カ月経過し、「もういい、ロッキー、もう十分だ」とリングにタオルを投げ、試合終了のゴングを鳴らしたくなった。

「ちょっと出かけてくる」

夫が外出して2時間後、帰宅した夫が抱えていたのは薄い段ボール箱だ。IKEAと描かれた組み立て式のミニ温室だった。

「これなら猫も手が出せない。何か策はないかとずっとネットで探していた」

感動した。手詰まりと思っていたが、盲点だった。新たな要塞を作ればいいのだ。なければ作ればいいのだ。夫は2カ月の間、作戦を練り続けていた。さすが元ボーイスカウトは違う。ボーイスカウトの「そなえよつねに」の精神は、アラフィフの魂にしかと刻まれていたのだ。

早速組み立てる。猫が様子を見に来るがほおっておく。組み立て方は簡単で、あっという間に完成した。ただ、温室にカランコロンを入れるときに猫を仕事部屋に閉じ込めて、見せないようにした。自分に必要なことだけは一度見たら記憶する猫なので、見られるとどこが突破口か猫にバレてしまうからだ。

窓際の白い棚の上に置く。白の枠に透明なアクリル板がはめられた小さな家のような形で、さすがIKEA、おしゃれだ。白のミニ温室に白い棚が、我が家になかったおしゃれな暮らし感を演出している。いいじゃない、これまでにないインテリアと要塞の融合。さっそく猫が近寄る。おや、カランコロンがいることに気付いていない。匂いがしないせいか、窓の外を見るための新しい踏み台と思っている様子だ。

これは、15ラウンド判定勝ちのパターンか。エイドリアン、見てくれ。

しまった、猫に気を取られすぎた。わずか1カ月後カランコエは温室の中でカビが生え、じわじわ根が腐ってしまった。調べると「カランコエは高温多湿に弱いので、風通しのよい場所に置きましょう。風通しが悪いと蒸れて腐ります」とある。暖房のかかる室内、日の当たる窓際、そして扉を開けることができない温室は最悪の条件だったのだ。育てやすい観葉植物のはずが、またしても、またしても。

しかし、多肉植物は強い。挿し芽で復活するという技をタニーちゃんのときに教えてもらった。レフェリーの声はまだ10カウントを数えきってない。カランコロン、行くぞ。

※待望の続編「カランコロン2」あらすじ。枝を切り分けて空き瓶で水栽培になったカランコロン。平凡な暮らしを始めるが、暇な猫に見つかり、勝負を挑まれる。瓶から1つずつ引きずり出されるカランコロン。現在わずかに1本が残るのみだった。


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