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【真実】濡れても良いことにする

何かと陰鬱な印象で語られがちな「雨」というもの。

このネガティブな感情を迎え撃つのは、
雨音に静かに耳を傾けることでもなく、きれいな色の傘を買ってテンションを上げることでもなく、むしろ水不足を救う恵みのそれだと強引に正当化することでもなく、ズバリこれだと思うのです。

濡れても良いことにする。


■傘をさす

僕たちは成長する過程のどこかで、雨が降ったら傘をさす。ということを覚えました。これ自体は良いと思うのです。

問題なのはこの教えがあまりにも肯定的すぎるが故、気付いたら濡れることの否定と同義になってしまったこと。


少し冷静になって考えてみます。

生活に支障をきたすほどの大雨はダメですが、しとしとと降る雨に少しばかり濡れたところで、何がどうだっていうのだろう。

着ている服に少しだけついた雨の跡は建物の中に入ればすぐに消えるでしょう。カバンを濡らしたそれは中の書類まで犯すことは無い。靴は・・・そもそも傘をさしていたって濡れただろうし。

つまりよくよく考えたら濡れたところで大して問題にならないほどの降雨状態は実は結構多い。
傘を持っていかれるほど大雨の時の方が実は少ないのだ。


■「お、降ってる」

駅を出て目的地に向かおうとしたところで雨が降ってきた。屋根の切れ目付近では多くの人がカバンから傘を取り出そうとしてごった返している。

まじかー。降ってやがる。

そんな声が聞こえてきそう。つまり一帯はちょっとした辛気臭さを帯びていて湿度をさらに何パーセントか上げている。


そこでこう考える。

ま、これぐらいなら濡れても良いことにしよう。


足止めを喰らう人たちの間をすり抜け颯爽と外に出る。背負っているカバンには実は折りたたみ傘が入っているが今回登場機会は無い。許してくれ(笑)。


数分間歩いていつもと何ら変わりなく目的地に着く。

信号待ちでスマホを開いた時に画面に少し雨粒がついたが違いと言えばそれぐらいか。


つまり濡れても良いことにすれば、雨は特にネガティブな存在ではなくなる。かといってポジティブでもないのだが、つまりいつも通りなのである。




本日も、最後までお読みいただきありがとうございました!


ちなみに帰路であればそこそこ降っていても僕は傘を差しません(笑)。


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