【読後感】ナナメの夕暮れ
芸人さんの書く文章は面白い。
特に若林さんのが好きで「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」で社会主義国と今の日本を俯瞰的に見た描写は秀逸だった。
で、今回も「ナナメの夕暮れ」を拝読。
結論から言うと、良かった。
■大人になること
若い頃のエネルギー、特に怒りのエネルギーは何だったんだろう。と今になれば冷静に思い返すことが出来る。
思春期とはまた違う、怒り。というか、もどかしさからくる、焦り。
自分の理想とは違うから無性に腹が立つけど、それに加えて自分ではどうにもできないことも気づいてしまったが故に、イラついて腹が立つ。
これなら世間を知らなかった思春期の方がまだましだったかもしれない。そんな20代前後にやってくる怒り。
今でも良く思い出すのは、テレビで釈然としない弁明をする政治家を見て無性に腹が立ったこと。
政治なんてあまり興味が無かったくせに、白か黒か問われて黄色の話をしだす政治家に無性に腹が立った記憶がある。
あれは何だったんだろう。
ナナメの夕暮れの中で若林さんもこの”若い頃の怒り”について触れていて、それ故の生きづらさを回顧しているが、大人になるとあるものが登場して解消されてきたと綴られている。
あるものとは、「代替案」。
若い頃の怒りなんてものは結局は言いっ放し。つまり無責任の化身なのだ、と。
大人になると自分が主体になることが増えてくる。主体になるとは責任者であるということ。責任者とは言うなればホスト側の人間だ。
ホスト側の人間になれば、それは違う!それはやりたくない!と主張するのは自由だが必ず「ではこういう事にしよう。」と代替を提示しなくては物事が頓挫してしまう。
この「ではこういう事にしよう」が自分を少し冷静にさせる。つまりあの頃との違いという訳だ。
■悩むことは、体力
前述した怒りもそうだけど悩みもまた同じで、実は結構体力を使う。もちろんこれも最近になって気付いたことだ。
つまり歳を取って体力がなくなると必要以上に怒ったり悩んだりしなくなる。というか出来なくなる。文字通り、必要以上に。
この変化は鮮明に人間としての低下を自分自身に突き付けてきて、それゆえ「歳は取りたくねぇもんだな」と無意識にネガティブな事象として受け入れてしまう。
気付くとオシャレや流行りに疎くなり、「あの頃は良かった」と言い出して、あんなに嫌だった老害への道をうっすらと自分も歩いていたりする。
しかし、こういう考え方もある。
気力も体力も無いから出来る範囲で物事を進めていくと、
若い頃に溢れていた一方的な理想の押し付けや排他的な態度が無くなって、実はかなり自然なカタチで周囲を見ることが出来るという。
まさにけがの功名、的な。
本を読んでいてこの一文良いな、と思ったのが、
エネルギーを上に向けられなかったら終わりではなく、正面に向けた方が全然奥深い。
という件(くだり)。
なるほど。
(必要以上に)怒れないし悩めない気力体力の低下ぐらいがむしろちょうどいいし、その結果上へ上へという尖った精神が衰えたとしてもそれは問題ではない、という訳だ。
■夕暮れと朝焼け
朝井リョウさんの解説も良かった。
夕暮れと朝焼けは似ているらしい。太陽の位置がわからなければ実は区別がつかないという。
何かの終わりがけは、新しい何かの兆候だったりするという事か。なるほど。
本日も、最後までお読みいただきありがとうございました!
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