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【真実】人は他人の失敗が好き
noteやtwitterなどのSNSを通じてとても思うことが、人は他人の失敗が好きだという事。
「やっちまったー」みたいな投稿はまず間違いなくたくさんのリアクションを得ています。
冷静に考えると”いいね”ではないのだけれど(笑)、それでも”いいね”とリアクションしたくなる遊び部分が垣間見えるとそれは途端に楽しい投稿(小噺)になるようだ。
「最悪だよ・・・」ではなく「やっちまったー」。
この違いをしっかりと醸し出せる人は人に好かれるんだろうな、とつくづく。
そもそもSNSなんてのはリアクションを競うものではないので好きにつぶやけばいいのだけれど、自然とこの雰囲気が出せる人は本当にうらやましい。
てことで、今回はこれが何なのかをちょとだけ深ぼってみた。
「これ」とは、人はなぜ他人の失敗が好きなのか、ということ。
■それは嫌味ではなく
人は他人の失敗が好き。
この文章だけ読むと、人間ってやっぱり性根が腐ってるな・・などとネガティブな捉え方をしてしまいがちだけど、どうやら本質はそうではないらしい。
むしろ真逆ではないかと。
人は基本的に、心配性なのである。つまり、誰かが自分と同じ失敗をしていることで安らぎを得ている。
あぁ、自分だけじゃないんだな(笑)、と。
これは全く同じ経験談でなくても良いらしい。ここのところ自分はかなりツイてないけど、この人も相当だな(笑)となればそれだけで人は救われる。
つまり他人の失敗談は、「ざまぁみろ」ではなく「わかるわかる」で自分の中に心地よく落とし込まれる。
だから人は他人の失敗談が好きなのだ。
■失敗談が語れる人
で、ここからが考察の本筋なんだけど、
失敗談が語れる人というのは基本的に自己肯定感が高いというのが大前提なんだと思うのです。
これこそが、先に述べた「最悪だよ・・・」と「やっちまったー」の分かれ道。
自己肯定感の低い人の失敗談はもはや犬も食わない愚痴でしかない。これは聞かされる方もただただキツイ。
Twitterの面白いところは相手の顔も見えないし、文字数も限られているくせに、この違いがはっきりと見えること。
同じ失敗談でもクスっとなるものと、不快になるものの差がものすごくクリアに見えるから不思議だ。
■自己肯定感のコントロール
大前提として、
他人の失敗談は癒しになる。
でもそれは自己肯定感の高い人の場合に限る。
ここまで整理して、もう一つ大きなポイントがあるように思う。
なぜなら、自己肯定感の高い人は基本的に自慢話が好きだからだ。自慢を隠そうとして説教臭くなるパターンもある。
つまり、「わかるわかる」と他人に突っ込んでもらえるだけの失敗談(余裕)をかませる人というのは、相当に自分自身のコントロールが上手な人ではないかと思うのです。
だって自分で自分を肯定的に見ながら、
それでも負の部分を語れて、
それでいて嫌味が無いんだから。
仙人かなんかではないのか、と。
■究極の対人能力
”人は話し方が9割”という著書の中で、大前提として「人は自分にしか興味が無い」と語られています。
自分にしか興味が無い延長で、(自分を慰めるために)他人の失敗談に共感します。
自分にしか興味が無いはずなのに、他人の話に耳を傾けたくなる理由はズバリここにあります。
それに対して、嫌味なく失敗談を語れる人は重宝される、つまり好かれる人になれるわけですが、これをコントローラブルにやるのはなかなか難しいな、という事がわかってきました。
しかし、いや待てよ。
これってそんなに難しいことなのか?
よくよく考えると、そんな小難しいこと考えずにこれを全力で実践している人がいるではないか、と気付きました。
いわゆる底抜けに明るい人です。
底抜けに明るい人というのは、どちらかというとドジなイメージで、全く以って仙人のような人ではない場合が多い。
でも素晴らしいのは、失敗との決別が圧倒的に早いという事。すぐ忘れちゃうし、あまり気にしてないし、だから失敗談がものすごく軽い。
少し話がそれますが「天然」と呼ばれる女性がモテるのもこのロジックと同じ。
でも結局は性格じゃん!
と言いたくなる結論に落ち着いたのですが・・・そこでSNSです。
投稿する前に少し考えて、これって他人の癒しになる失敗談かな、と考えれば少しづつ失敗との決別が早い人になれるかもしれません。
本日も、最後までお読みいただきありがとうございました!
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