【真実】理系か、文系か
中学生になった長女に
「将来 小説家になりたかったら理系か文系、どちらがいいと思う?」
と尋ねてみたところ、やっぱり
「文系」
という答えが返って来た。
■イメージの弊害
その昔、つまり自分自身が学生だった頃とこの風潮は全く変わってない。理系か文系かで言えば、文字を書く人は文系なのだ。
「文」という文字がそれを連想させるし、文学部という学部がいかにも本にまつわる何かを扱っていそうだという先入観もある。
つまり、多くの中高生にとって将来の夢はまず文系と理系に分けられ、イメージの弊害によってミスリードされていく。
■東野圭吾は元デンソー社員
例えば、東野圭吾はゴリゴリの元エンジニアだし、星新一は農学部を出ている。養老孟子や知念美希人など、医者であり作家である人は多い。
つまり世に名を轟かせる作家の多くは理系出身者だったりする。それもゴリゴリの。
文章を書く行為というのはイマジネーションよりもむしろロジカルシンキングな要素が強い、というのが要因なのかもしれない。
ミステリーとか、絶妙な構図を必要とする分野では特に。
つまり、(多くはその人の持った素質だと思うけど)ロジカルな世界に身を置いた人の方が、実は文章を書くことが得意だったりする。
なぜならその行為が(例えば)物理の問題を解くこととてもよく似ているから。
■理系か、文系か
受験に向けて”選択と集中”をするという観点で文系か理系かを選ぶことは必要なことかもしれない。けど、それと将来やってみたいことをイメージで紐づけるのはちょっと恐ろしいことかもしれない。
例えば薬剤師になりたくて化学を専攻するとか、歴史学者になりたくて日本史を専攻するとか、そのぐらいドンピシャなら問題ないけど・・・恐らく多くの人は何となく進む方向を決めているのではなかろうか。
そして何となく就活を始める。そして自分の過去を振り返って、「あれ、オレ今まで何してきたんだっけかな?」と我に帰る。
■右脳か、左脳か
「素質」という言葉を使ったけれど、生まれながらにして自分は何が好きで何が得意なのか、というのはある程度決まっているように思う。
そんでもってその得意な方に進んだ方が幸せになれる可能性は高い。
そういう意味でこの「素質」をはかり知るうえで、自分が右脳よりなのか左脳よりなのかを認識しているのは良いことかもしれない。
右脳派か左脳派かを教科に当てはめるとちょっとかたっ苦しいけど、昔バイトに関する好き嫌いでとても興味深い話があった。
ある人はずっと同じバイト先にいて与えられた仕事を極めていくのが楽しいと言っていたのに対し、ある人は毎日現場が違う派遣のバイトが楽しいと言っていた。(毎回場所と作り出す形が違う)コンサート会場の設営とかは最高だと言っていた。
前者はめくるめく環境が変わる派遣のバイトなんて好まないだろうし、後者は何年も同じバイト先にいて同じ仕事をするなんて息苦しくて耐えられないだろう。
つまりそれが右脳と左脳の差であり、その人の持つ素質なのではないかな、と。
■三者面談の季節
多くの学生が三者面談で自分の行く方向を決める。僕の記憶が正しければそれは夏が始まればすぐにやってくる。
大事なのは、
自分が何を好んでするタイプなのかを自分で知ることで、それを意識したうえで行き先を選ぶことだと思う。
この時に、文系と理系のイメージに翻弄されないこと。何を追求して、どんな学部に進めば自分の得意な分野が活かせるのか。もうその一点で良い。
そして、(これを言ったら元も子もないけど)
どちらかを選んだところで、将来なんて何とでも変えられるということ。これもまた事実。
大成功者・東野圭吾がそう言っている。
理系を出て文字を書いたから、ガリレオという人気シリーズが出来て、福山雅治が主演をつとめて映画にもなった。
どっちに進むかより、何が好きかで選べばいい。その方が幸せだから。
本日も、最後までお読みいただきありがとうございました!
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