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【迫真エッセイ】転職と苦悩の話⑨

新規事業コンテストの優秀賞をGETした僕は、自分の中の新たな可能性に期待して、やや興奮していた。

興奮したら動きは速い。気付いたら僕は人事部の扉を叩き、部門移動の相談を持ち掛けていたのだった。


■社内転職

大きな会社ゆえ、知らない部門が山ほどある。人事では自己成長を促すジョブチェンジを推奨し、いくつかの制度まで整備されていた。

僕はこれに乗っかって自分の職種を変えようと画策した。目指すは社内転職だ。部門の幅が広いと言いつつも・・・ターゲットは決まっている。メーカーの中でも珍しくBtoBBtoGを得意としている部門だった。

これまでコンシューマ向けのハード開発を主に取り扱ってきたなかで、常に感じていた目の上のコブのような思いがある。それは、ハード開発が足元を見られながらする仕事である、という感覚。

BtoCの世界はローンチした翌日から値下げとの戦いが始まる。それならまだ良い方。市場によっては開発前から厳しい予算が決められている。僕はリーダー時代にコストを下げるため中国生産を積極的に進めたが、何か月も掛けてようやく立ち上げた途端、円安でやられるという憂き目に何度もあった。

つまり、僕の扱う商品のBtoCは先細りだったのだ。周りには優秀な技術者がたくさんいた。いわゆる匠と呼ばれるような人だ。

しかし、

売れないものを作っていても何の価値も発揮できない。残酷だけど真実。僕はこういった人たちを何人も見てきた。時代は、どうやって作るか、よりも何を創るかに優れた方が有利である。そう言っている。

BtoBやBtoGの仕事は、この「何を創るか」を先導する部門であり、この頃ビジネス誌を賑わせていた”コモディティ”という言葉とは無縁の世界にいた。機械工学を経ていながら、ハード開発への情熱が薄れ始めていた僕にとってそれは、とても眩しく見えたのだった。


■面接

僕は上司に相談し、部門移動(転職)することを伝えた。人事のフォローもあって、最初は驚いた上司だったが割と話はスムーズに進んだ。

僕は新商品の開発リーダーから外れることとなった。何年かぶりのイチ担当だ。今思えばちょっとリスキーだったかなとも思う。転職は必ずしも約束されたものでは無かったからだ。公募によりふるいに掛けられる。つまり面接試験があるのだ

あの、忌々しき面接試験だ(笑)。


僕は、「どう作るかはある程度 極めることが出来た。これからは何を創るかの分野で自己研鑽し、部門に貢献したい。」
これをキラーメッセージに、経営感度・マネジメント経験を押し出して面接に臨んだ。

東京のど真ん中にあるキレイなオフィスだった。作業着を着てハード開発をするところとはわけが違う。これがBtoBやBtoGの総本山。僕は時折 窓の外に見える素晴らしい景色に目を奪われながらも、何とか自分自身の情熱を伝えた。

鼻は伸びているどころか窪んでいる。新しいことに挑戦したい気持ちは、とても素直で、とても謙虚で、僕は夢中になって想いを語っていた。


その1週間後に、通知を受けた。合格通知だった




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続く。いよいよ、新天地への挑戦が始まる。


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