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【真実】人生について、今さら気付いたこと

僕は「歴史」という暗記教科があまり好きではありませんでした。

どちらかと言うと物理や化学のようなロジカルな世界が好きで、それはつまり文章を書くという行為も感性というよりは多分にロジカルな部分を含んでいるので好きなのかもしれません。

それに比べて歴史の授業は猛烈につまらなかった。暗記して、テストするのが当たり前だったから。

しかし!

大人になって理解しました。
歴史とは我々の存続の経緯であり、これほど明確なロジックはないのでは、いう事を。
「空気抵抗は無いものとして・・・」などと言っている物理学よりもよっぽどリアルで、原因と結果が一意である、と。



■例えば幕末、

読書なんかを通じて幕末から明治維新にかけての流れはかなり詳しくなりました。

当時の人々の置かれた環境、常識、興味などを踏まえたうえで当時を想像するとかなりリアルに思い描くことが出来ます。そのうえで現代まで語り継がれている文化、政治、言葉などを改めて振り返ると、鳥肌すら立ちます。

そしてそして、 今更ながら気付いたのですが、

今自分がここに居るという事は、その時代に自分のルーツとなった人が必ず居たという事の証明でもあるわけです。

これって凄くないですか!?


私は「鈴木」なので、(あまりにも同じ苗字が多すぎて)自分の先祖のことを正しく知りません。しかし!その時代のどこかに、必ず居たという事は間違いないのです。

なぜなら、私がここに居るから!!



■バトンのようなもの、

日本列島で人々が稲作を始めて、奈良や京都に都が出来て、藤原が一世を風靡して、武士がクーデターを起こして、そのまま内戦を続けて、徳川が国を統治して、ペリーが来て、江戸が東京に代わって、武士が兵士になって、人々が駒のように扱われて屍を重ねて、戦争を放棄して目まぐるしい経済発展に寄与する間、

この間、私のルーツは(どこで何をしていたかわかりませんが)ずっと生き続けていました。参勤交代に土下座していたか、参勤交代の中で列を成していたかはわかりません。しかし、どこかにいたのです。

もしかしたら子孫を残して、どこかで命を絶っているかもしれません。全員が大往生したわけではないでしょう。しかしながら、私自身の性格も体質もどこかの誰かのものを受け継ぎながら今日までつながってきたのです。

繰り返しになりますが、これってやはり凄いです。



■重たいバトン

ここでのメッセージは、バトンを受け継ぐために皆 結婚や出産をするべき。というものではありません。

そうではなくて、ここまで受け継がれてきたこのバトン、やすやすと自ら放棄して良いんでしたっけ?という感覚です。
あるいは、他人のバトンを取り上げるような行為はして良いんでしたっけ?というのも同義です。


過去の人たちの生きた世界は命も今より軽く扱われ、病気に対するリスクも遥かに悪い環境だったでしょう。
にもかかわらず、今日までそのバトンは受け継がれました。2千年もの間、決して途切れることなく。


生命の継続を「リレー」、この命を「バトン」と例えると、僕たちは誰かが繋いでくれたバトンを受け継いで走っていることになります。
そう、僕たちは決して一人ではない。時代を超えた、誰かとチームメイトなんだ。そう言えるのではないかと。



■スペシャルである必要があるか?

人生は誰かに誇れるほど素晴らしくある必要があるか?

否、

ここに存在している時点でそれは既にスペシャルなんだと思います。




本日も、最後までお読みいただきありがとうございました!


マジで自分のルーツを知りたいです!!




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