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【迫真エッセイ】転職と苦悩の話⑰

春に在宅勤務を強いられてから既に半年がたっていた。徐々に出社や出張が解禁され、にわかに仕事が元の姿に戻り始めていた。

この、在宅期間中に僕は大きな決断をする

Teamsで部長の予定を30分ほど確保させてもらったのは残暑厳しい8月の終わりぐらいだったと思う。

 

■在宅期間中

睡眠時間と家族との交流を十分に確保できるようになった僕は、生死を彷徨うような瞬間はめっきり減ったが、その分 際限のない業務に追われるようになっていた。

日中はほぼ会議。夜から諸々の資料を作り始める。課長としての運営作業は週末に行う。世間的に外に出かけることを許されていなかったが、その分ほとんどが仕事漬けになった。

体力的に生き返ったかに見えた僕だったが、心に余裕が出来てしまったことが逆に良くなかった。モチベーションがぐんと下がっていた。今思えば、どのみち僕は死んでいたのだ。

そんな時、事件は起こる。

経理課長からやや厳しめのチャットが入った。課のメンバーが、どうやらコンプライアンスに抵触したらしい。


コンプライアンスとハラスメントについては、組織長としてことさら慎重を期していたはずだった。週1回の課内会議では必ず法務に関する話題に触れ、メンバーに知識と意識を植え付けてきた。

しかし・・・。

僕はこのことでプレイングマネージャーとしての限界を自覚するようになる。「このままではメンバーが不幸になる」。組織長とプロジェクトマネージャー。2足の草鞋(ワラジ)など履いてはいけない。

立ち止まって足元を見た。僕が必死に履き続けてきたそれは、既に両方ともビリビリに破けていた。


今思えば、

この事件は”きっかけ”と言うより、自分に対する後押しに過ぎなかったのかもしれない。僕は心のどこかで、何かを諦めるきっかけを探していた。過労死寸前まで働いて、突如として命救われる休息を得て、時間が出来たおかげで理想と現実を丁寧に見比べることになって・・・もうやる気などとうに無くなっていた。そのことを、この事件をきっかけに気付いたに過ぎなかった。

僕は、体の良い逃げ口を見つけた。今思えば。


■辞めさせてください

情けねぇな、おまえは」という反応と、「良いの?本当に良いの?」というリアクションが半分ずつ。

色んな人に どうしたの? と探りを入れられつつ、前代未聞の自己申告を以って、僕は10月から降格した。


簡単な判断ではなかった。

転職して、死に物狂いで頑張って、何とか認められて勝ち取った課長職だった。自ら辞するような奴に次の機会はほぼ無いだろう。転職が間違っていなかったと定量的に差し示す唯一の証拠を、僕は自らの手で永遠に捨てたのだった

また、「出来ねえのかよ」という反応もまた僕をかなり苦しませた。根性がないとか、すぐ諦めちゃうやつとか、そういうレッテルだ。

これについては、この頃僕には強い持論があった。「やる」と「出来ている」は全く違うという感覚。
確かに、朝から夜まで働いて、週末も家族も犠牲にして職務を全うしているやつは何人かいる。何なら自分もそうやって来た。しかし、その様な働き方は、仕事をしていると言うより、ただ物事をこなしている場合が多い。

何かをupdateするような活動などほとんどできていない。つまりその場を凌ぐように「やっている」だけなのである。こんな状況にイノベーションの類など期待できるはずもない。

「出来ねえのかよ」と言われてもいい。「やる」だけの仕事はもうしたくないから。これがこの頃の、僕の小さな小さなモチベーションだった。


こうして僕は名刺とスケジュールを少しだけスッキリさせ、本格的にプロジェクトに没頭していく。

新たな地獄の始まりであった。

 

 

 

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続く。

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