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【迫真エッセイ】大局が見えない背後霊

私は前が空くとサッとその距離を詰める。しばらくしてまた前が空くとやはりその距離を、サッと詰める。早い。

恐らく私が背後霊で、その役割を全うしようとしているならとても優秀な部類に入るだろう。しかし私は、前の人のことを全く知らない。残念ながら他人だ。


行列の一部と化した私の動きは、何かに取り付かれたかのように俊敏。いったい何のゲームをしていて何点取ったんだ。と、自分自身に突っ込むようになったのはつい最近の話で、行列における私の前を詰める早さ、すなわち「空間ディストラクション」能力は、異常に高かった。


高速道路

車に乗っていてもやはり同じことが起きる。

私は前の車との間に距離があると、その距離を詰めたくなる。その車を追い抜き、また前の車との間に距離があると、すかさずその距離を詰める。

煽っているのではない。前に空間があると少しでも先に行かなくてはいけないのだと、何なら使命感すら持って、前に行く。

不思議だ。理由なんてない。ただただ私は、今日も自分の前の空間を詰める。


ランニングをしていても、仕事をしていてもこの性質は垣間見える。

目の前の出来事が全てで、それに対して一歩前へ一歩前への執着が強い。よく言えば向上心。悪く言えば無駄な動き、大局を見ていない悪あがきだ。


毎日が決勝戦

この性質は、大好きなサッカー観戦にも影響を及ぼす。

例えばお気に入りのチームが敗戦を喫すると、私はひどく落ち込む。たとえばその敗戦が、長いシーズンを戦い抜くための伏線で、実はとてもポジティブな敗戦だったとしても、あまりそう言った感じでゲームを振り返れない。

行列でいえば前との距離が空いてしまった感覚。「早く詰めなくては」と焦り、詰められなかったことを心底悔やむ。

ケツの穴の小さい男だ。



推理小説向き

伏線に鈍感。という観点で言えば、推理小説の読者には向いている。目の前の出来事に一喜一憂するあまり、しっかりと騙される。いい読者だ。

昔ミッションインポッシブルを観に行って、絶体絶命のピンチに追い込まれたとき、なぜか敵が突然助けてくれて、その敵が顔面の特殊メイクをはぎ取った時、中からイーサン・ハントが出てきた。というお馴染みのくだり。

映画を見た後に彼女が「さすがにあそこはわかったよね。」と言ってきたとき「さすがにね!」と答えたが、

私はドッキドキで観ていた。


目の前の出来事に一喜一憂せず、大局を見てペースを崩さずに生きていく。というのが理想だ。

それに引き換え、自分はあまりにも目の前の出来事に翻弄されすぎだ。

少しづつだけど、自分のペースを見出して、周りに影響されず生きていけたら、と思う。


性格も大いに関係するが、経験を積んだ人と今現在が経験を積む真っ最中の人との間に、この辺の感覚に誤差が生じることがあるかもしれない。

経験値が高い人は、このぐらい大丈夫。と思うけど、経験値が浅い人は、それが理解できない。


分かり合えない時は、この感覚を思い出し、丁寧に声を掛けてあげられるようになりたい。


そんなことを想っていたらまた前の人との距離が空いた。サッと詰めようとして、止めた。

ていうか、ソーシャルディスタンスが必要だった。むしろありがたい習慣だと思った。



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