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【迫真エッセイ】転職と苦悩の話⑦

リーダーとして担当した商品が最大級の売り上げを伸ばし、僕は遂に昇進試験の切符を手にした。

昇進試験が、誰により多くの給料を払うべきかを選別する試験であれば僕は間違いなく合格できるはずだった。しかし実態はそう甘くない。伸びたのは売り上げだけでなく、僕自身の鼻も例外では無かった。

そして、

昇進試験が、一緒に仕事をしたい人を選別する試験だったと気付いたのは不合格を突き付けられて、しばらくたってからだった。


■敗因

今にして思えばそれは大きく2つある。

一つは他でもない。調子に乗っていたから。プロジェクトの中では多少強引でも賛同してくれる人が多かった。それは結果が伴っていたからだ。面談を同じテンションでやってしまっては「何だコイツ」以外の何物でもないだろう。面接官とは苦労と結果を共有していないのだから。

自分のやり方を過大評価し(でも面談ってアピールなんだから多少は自己評価するよね・・・と思いつつも)、「圧勝でした。」などと言っているやつからは、欺まんと慢心のうさん臭さしかなく伸び代なんて感じられなかったのかもしれない。不合格が妥当だよ。まったく。


そしてもう一つ。社の中で、ハード分野はオワコンという風潮があったのが誤算だった。会社の規模がそこそこ大きいと、面接官は僕のやってきた仕事なんて1mmも見てはいない。実にフラットな目線で見ている。

そんな中、社内の上層部にはハードに頼っている利益の軸をシフトすべきという論調が起き始めていた。コモディティという言葉がビジネス誌を賑わせていた、ちょうどその頃だ。
そんなこともつゆ知らず、ワイの作ったハード売れましたから!と天狗より長い鼻で意気揚々と話しているのだ。井の中の蛙にもほどがある・・・。

 

■知っていた

実は、ハード分野オワコン・・・の論調が寝耳に水だったわけではない。このころすっかり読書の虫になっていた僕は、今後はソリューションビジネスの時代であるというのは十分に理解していた。

ただ、それがどんな価値を示すどんなビジネスなのかはいまいちピンときていなかった。機械工学を卒業し、図面を書いたりCAD操作を生業としてきた人間にはある意味仕方のないことだった。

しかし、

僕は面談の失敗、つまり昇格できなかった事実を突きつけられて、このことに対してより真剣に考えるようになる。モノどう作るかを極めてダメなら、何を創るかを考える人にならなくてはいけない。それが(当時の)僕なりのソリューションビジネスの解釈。

こうして僕は、失意の傷を癒しながら少し違った角度で会社と、仕事を見るようになるのである。

 

 

 

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続く。もうすぐ転職へ。

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