【迫真エッセイ】転職と苦悩の話⑭
社会人になってからの経験と、それからPMPという武器を引っ提げて僕は再び開発の現場にやって来た。
意気揚々としていた。自己肯定感も高かった。何よりも、転職してからこれといった手ごたえのある仕事をしていなかった自分にとって「絶対にやってやる」という気持ちが圧倒的に強かった。
しかし・・・。
■地獄
プロジェクトを受け持ってからの1年間は地獄のような日々だった。使命感と意地だけで電車に乗り、会社に向かっているようなものだった。
プロジェクトはこれまでのものと別次元だった。創り出すもののアウトラインが何となく見えていたこれまでと全く違い、誰も何もわかっていなかった。
誰も、何もだ。
チャレンジと言えば聞こえはいいが現場は悲惨だ。クライアントは当然不安になる。不安はクレームになる。そのたびに上層部からリーダー陣に檄が飛んだ。
圧は外からだけではない。「これを創ります。」という明確な図面など無い。当然スコープは右往左往した。プロジェクトにおいてスコープの変更は最悪だ。そんなことは知っている。PMPで勉強した。
しかし、だ。
この変更が受け入れられなければ、オレたち(プロジェクト)はどこに向かっているんだ!?と言えてしまいそうな情けない状態だった。会社は容赦なくスコープ変更にGOを出す。コストとスケジュールは当然維持したままだ。
現場は猛反発する。不審になる。疲弊する。絵に描いたようなクソマネジメントの中心に僕がいた。
正直、自分自身の器量をとうに超えていることは気付いていた。これまでの経験なんて皆無に等しかった。しかし代わりなどいない。そもそもそんな人がいれば自分なんかがここにいるわけがない。
内外から叩きつけられる八つ当たりの的だった。ほとんどの人の機嫌が悪かった。やり場のないその矛先は、容赦なく自分に向けられた。
愚かだった。
この頃はだいぶ卑屈になっていて、すべての上司が敵に見えた。いつも使われる会議室は説教部屋だった。メンタルも狂い出していた。僕はその会議室に近づくと動悸がするようになっていた。特定の上司からのメールは死刑宣告に見えた。送信元を見ただけで胃にズンと重いものを感じるようになっていた。
僕はただただ、使命感と意地だけで会社に行って仕事を続けていた。とっとと首にして欲しいと思っていた。こめかみに銃を突き付けて「役立たず」とでも言われて抹殺して欲しかった。しかしそうはならなかった。代わりなんて居ないからだ。
■幻覚
ある日、社内で打ち合わせをしていたら地震が起きた。そこそこ大きな揺れでフロア内には少しだけ緊張感が走った。
僕はその時、心の中がブワっと湧き上がるのを感じた。不謹慎にもビルごと崩れてしまえばいいと思った。パソコンも資料も砕け散って、人間たちが逃げ狂い、誰もが自分の命だけを必死に守る事態になればいいと思った。
揺れは少しして収まった。
フロア内は安堵した。しかし僕は逆に悔しいとすら思った。ビルは崩れることなどなかった。このことをひどく残念に感じていた。
今考えても異常だったと思う。
僕が通勤で使っていた電車にはホームドアが付いていなかった。僕には自分の身を投げるような勇気など到底無いが、頭がおかしくなることを恐れて必ず一番前の車両に乗ると決めていた。
ここで電車を待っていれば、何かを間違えて電車と接触しても死ぬことは無いだろう。
今考えても異常だったと思う。そう、僕は確かに、頭がおかしくなっていた。
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続く。
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