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【真実】「松陰の3ステップ」とは?

何らかのイノベーションが生じるとき、多くの場合その背景に3つのステップがあると考えています。

3ステップとは何なのか?

それを説明するうえで、実は最も分かり易いのが幕末の吉田松陰とその門下生の関係。
そしてそれは時空を超えて、現代の北海道での出来事にも通じるのではないかと思うのです。

少し詳しく。


■吉田松陰は偉人ではなく、異(質)人だった

吉田松陰と言えば幕末の開国論者。
ペリー来航に興奮して黒船に近づき下田で拘束。地元に強制送還されてから松下村塾を引継いで先生になるも、”安政の大獄”の餌食になって命を落とします。

そんな中、
僕が着目するのは吉田松陰とその一番弟子である高杉晋作、それから門下生の中では最も舎弟だった伊藤博文との関係性です。

鎖国と攘夷(外国人を排除する思想)の中で吉田松陰のような開国論者は誤った考えの持ち主でした。つまり当時の常識では異質扱い。理由は簡単です。周囲の予定調和と違うことを想い、行動している人だからです。

松陰の1番弟子だった高杉晋作は安政の大獄で師匠が殺されると討幕の先頭に立ち革命を蜂起。当時は無謀な戦いだと言われていました。

その傍らにいたのが弟分の伊藤俊輔。後の初代・内閣総理大臣。攘夷と開国の渦中で亡くなった2人(吉田、高杉)の大先輩のお膳立てを引継いで生き延び、明治維新後の中心人物となりました。


吉田松陰、高杉晋作、伊藤博文
この3人のなかで最も有名な人は誰だと問われれば多くの人が「伊藤博文」と答えるでしょう。実際にお札にもなりました。しかし、

…ちょっと待ってくれ。僕はこの事実に少し違和感を感じるのです。


■松陰の3ステップとは

3人の関係は、彼らを取り巻く時代の変化と共に次のような3段階で例えられると思っています。

①誰も手を付けていない荒れ果てた土地を開墾した吉田松陰
②その土地に強固な基礎を創った高杉晋作
③その基礎の上に立派な建物を建てた伊藤博文

そして恐らく、

周囲に理解されない①の時はこんなことを言われたでしょう。
「あの人何やってんの?」「何でこんなことするの?」「変わった人だ」
それどころか松陰は殺されてしまいました。

まだまだ現実味の無い②の時はこんなことを言われたでしょう。
「いやわかるけど無理じゃね?」「止めた方が良いって」
そして高杉晋作は病死しました。

一転、
機が熟した③の時はこう言われたでしょう。
「わぁ立派な建物だ」「素晴らしい!」「さすがです!!」
そして伊藤博文はお札になりました。

同じ方向を向いてきた3人なのに、評価と結果が全く違う。理不尽なまでに。
そうなんです。歴史的な結果はいつだって不遇から始まる。それもそのはず。まだ誰も見たことがないことをしているんだから。でもそれがあったからこそ輝かしい歴史があって今がある。しかし、

僕らが見るのはいつだって③ばかり。


■BIGBOSS

急に時代が飛躍しますが、個人的にはBIGBOSSの取組にはかなり肯定的です。

それが良いか悪いかはわからない・・・でも何かを起こそうとしている。そう、今のBIGBOSSはまさに「松陰の3ステップ」の1段階目に挑んでいます

批判はされる。それではダメだと否定される。

でも何も問題ないでしょう。なぜなら何かを成し遂げる前にはこうした苦悩の段階が必ずありますから。それは歴史的にも証明されています。


多くの人は3ステップの3段階目しか見ない。
そして時代が動いた時に、過去を回顧してようやくその凄さに気付く。「変人」ではなく、「先生」と呼び改めて銅像を建てる。

そういう意味では僕らは今、とても貴重なタイミングを目撃しているかもしれません。

3ステップの1段目を目の当たりにして、実例が無いからと批判・否定するのではなく肯定的に見ていこうではないかと思うのです。

たとえそれが上手くいってもいかなくても。



本日も、最後までお読みいただきありがとうございました!

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