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【迫真エッセイ】少年時代と映画館の想い出

最近サブスク型の動画配信サービスにお世話になりっぱなしで、すっかりTSUTAYAに行かなくなってしまった。TSUTAYAだけではないよね。外出禁止のせいで映画館にもいかなくなってしまった。

いつ以来だろう?行ってないのは。おそらく記憶が正しければ次女と行ったプリキュアの映画が最後かもしれない(汗)。そんな次女もプリキュアはすっかり卒業してハコヅメとかを見ている。時間は過ぎているのだ。

唐突だけど、映画館との想い出を綴っておこうと思う。

共感してくれる人がいたら非常に嬉しいけど少ないかもしれない。私は幼い頃、映画館が怖かった。「恐怖」というよりは「哀愁」みたいな感じで、なんか物悲しい感じがするのだ。


初めて映画を観たのは小学生の低学年の時だった。近所の市民ホールで上映される旧作だった。タイトルは覚えていない。ある海外の田舎の暮らしを描いた戦争映画だった。内容も全く覚えていない。ただ母親が隣で涙を啜っていたことだけは鮮明に覚えている。言い換えればそれだけ。

市民ホールは映画館ではない。映画館ではないから照明にしろ音響にしろどこか間が抜けている。それに隣に母親がいるのも心強かった。あれは言ってしまえば”映画”では無かった。だから初めて見た映画にはカウントしない方が良いかもしれない。つまり映画館との想い出を決定付けるものにはならなかった。


初めて”映画館”で映画を観たのは小学生の4年生ぐらいだったと思う。またしても内容は覚えていない(笑)。何かのアニメだった。よく覚えているのは親がいなかったこと。今なら理解できる。家族揃ってアニメ映画を観るなんておかしな話だ。鬼滅の刃ならまだしも当時はそういうアニメは無かったから。

姉と二人で映画館に取り残された。初めて座る映画館の椅子が大きかったこと。辺りが暗すぎること。音が大きすぎた事。買ってもらったポテトチップスの咀嚼音が気になってほとんど食べられなかったこと。

複数のアニメが終わって2時間ぐらい経っていた。それなりにスクリーンに没頭したのだが、照明が戻った時には少しほっとした。シートの色が思っていたのと違ったのに少し驚いた。同じぐらいの子供たちが一斉にざわついた。中には親と来ている子供もいた。うちの親は絶対にアニメなど見ない。だからそれがとても不思議に思えた。

姉の誘導で出口まで向かった。驚いたことに外はすっかり暗くなっていた。恐ろしいほど長い時間、自分の本来過ごすべき空間を留守にしていたかのようだった。タイムリープしたらこんな感覚なのだろうか、とも思った。映画館の外の看板は何一つ変わっていないはずだけど、どれも見覚えのないものに見えた。

少し待つと向こうから両親がやって来た。「意外と早かったね」と言った。子供を置いてする久々の買い物に2時間は短かったかもしれない。自分は「嘘だろ」と思った。恥ずかしくて言えなかったけど両親に再び会えてホッとしていた。真冬に浴槽に浸かった時のように、じんわりと暖かくなるのを実感した。

その時思った。オレは怖かったのかもしれない。恐怖心ではないけれど、何かとても不安だった。せめて空が、映画を観終わった後も青だったら良かったのかもしれない。


映画が大好きな人ってたくさんいる。大画面と臨場感ある音量と、何よりあの雰囲気が好きなんだと思う。どんなに配信サービスが進化しても、映画館は無くすことが出来ない。あの雰囲気は唯一無二だから。

わかる。

わかるけど、自分の場合 映画館は少し怖いところだという感情がある。恐怖心ではない。なんというか、物悲しい感じ。

共感してくれる人はいるだろうか。

映画は好きだ。良い映画を観れば人並みに感激する。でも、映画館から出てきた時の安心感が必ずセットになっている。うまく言えないけど、そんな感じ。




本日も、最後までお読みいただきありがとうございました!


この物悲しさもまた、映画館の魅力なんだと思います。興奮や感動とは違うけれど、心を持って行かれているのには変わりないですから。




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