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【真実】生きる世界は土俵で決まる
小さいころ、親のことを神だと思ったことがある。
我が家は3兄弟。貧乏ではなかったが、分け与えられたお菓子やおかずは、慢性的に物足りなかった。
「もっと食いてぇ。」
小学生も高学年ともなると腹が減る。そんな時、母親が言った。
「お母さんのやつ食べていいよ。」
なんて神々しいセリフ。神だと思った。
「食べていいよ。」
家族でおやつを食べている時、娘たちがもっと欲しいという時がある。そんな時は決まって「これ食べていいよ。」と言ってあげる。
子供たちは目を見開いて感激する。「いいの?」その目が言っている。
こいつは神か、と。
私も大人だ。小学生とおやつを全力で取り合っている場合ではない。ま、欲しけりゃ自分で買うし。特に無理もせずあげるのだが、彼女たちのリアクションはそれどころではない。
このテンションの差は、土俵をどう見ているかに依存している。
土俵の高さ
子供たちは自分の土俵に自分の親がいると思っている。一方で親たちは子供とは違う土俵にいて、少し高いところから子供たちの土俵を見ている。
つまり土俵が違えば、相手の100が100より小さく見えて、余裕が生まれる。
このことは、大人になると本当に多くの場面で影響を及ぼす。
おかしなやつに応じてしまえば、それは同じ土俵に乗ったも同じ。その時点で対等だ。それより上からは、物事は見えない。
土俵に乗らない
賢く生きたければ、低い土俵には乗らないこと。自分の生きるステージを高めたければ、低い土俵には乗らないこと。
自分の生きる世界は、土俵の高さで決まる。
その土俵の高さは自分で決めることができる。
相手が用意した土俵なんかに、わざわざ乗らないことだ。
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