【迫真エッセイ】転職と苦悩の話⑱
10月。
人事のホームページに課長職免職の案内が出て僕は正式に肩書を失った。社内転職をしてから4年。転職成功の証として守り抜いてきたものを手放した瞬間だった。
■激務
こうして僕は、管理業務から解放されることとなる。
この頃になると強制的だった在宅勤務も徐々に個別裁量になってきて、僕はプロジェクトの特性上、また朝から会議や出張を繰り返す日々を送っていた。
相変わらず週の半分は5時台の電車に乗り通勤する日々だったが、メールの数が1/3に減り、プロジェクトに専念できることはかなり僕の心労を和らげた。責任と、上層部からのプレッシャーは相変わらずだったが頭の中ではそれなりに充実していた。
・・・はずだった。
頭の充実とは裏腹に、僕の体は突如として異変に見舞われる。忘れもしない。12月の初旬。とても寒い日の朝だった。
その日は日々の激務からいったん離れ、別のビルへ研修を受けに行く予定だった。いつもよりずいぶん遅い朝7時に目覚め、その瞬間、猛烈にお腹が痛いことに気付く。
寝起きからすぐにトイレに駆け込み、そこからしばらく出ることが出来なくなった。トイレから電話をして研修の欠席を伝えた。
僕のお腹はそれから丸一日下り続け、ほとんどの時間をリビングとトイレの往復で過ごすこととなった。
■家から出られない
原因不明だった。
前日にひどいものを食べたわけでもない。とにかく、会社に行くどころか、最寄り駅まで辿り着けないほど、僕のお腹は下り続けた。
胃薬も飲んだ。正露丸も山ほど飲んだ。しかし全く効かない。断食もした。何も食べていない。なのに、(汚くて申し訳ないけど)ずっと何かが出続ける。止まらない。
顔がげっそりして、気付けば3日も会社を休んでいた。とにかく体がおかしい。胃腸のトラブルでないことはうっすらと気付き始めていた。
電車に乗ることが出来ず、家のトイレでもがき続けて4日目。僕は妻の勧めで近所の心療内科に行くことにした。数週間前に妻の友人が利用したと聞いた病院だった。その時はまさか自分が駆け込むことになるとは思いもしなかった。藁にもすがる思いだった。
4日ぶりの外出で便意に恐れながら、何とか病院まで辿り着いた。診察では僕の日常、つまり日々の仕事と生活サイクルについて根掘り葉掘り聞かれた。やがて数種類の薬が処方された。
あんなに正露丸を飲んでも効かなかったのに、薬の効果は抜群だった。そして、僕は先生にズバリ言われてしまう。
原因は、自律神経失調。効いた薬の成分は、抗うつ剤と同じ類のものだった。
■自覚ないからこそ
自分とは無縁の症状だと思っていた。しかし、あんなに苦しかったのが治ってしまったからには認めざるを得ない。
あの日はとても寒い朝だった。そして、研修のため業務から離れられるという安堵感がどこかにあった。
僕の中でピンと張り詰めていたものが、どうやら切れたに違いなかった。体は正直だ。コ口ナのおかげで延命し、管理職を辞して環境を整えたのだが、既に僕は死んでいたのだった。
結局会社を1週間休んだ。あんなに欲しかった自由時間。なのに僕は、何もできないまま、体はむしろやつれた。
もう続けられないかもしれない。というネガティブな想いと、僕なんかいなくてもプロジェクトは進むじゃないか。という残酷な事実が、回復した後も僕の心を、大きなかさぶたのように覆う。
もうすぐ、激動の2020年が終わろうとしていた。
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続く。
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