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【読後感】八本目の槍

同じ釜の飯を食うってのは若いころに苦楽を共にした間柄という意味だと思うけど、
時代が時代ならこの意味というか言葉の深さも全然違うよねーってのをつくづくと実感できるのがこちらの書籍。

いわゆる賤ヶ岳の七本槍と、八本目の槍・石田三成の物語。


面白かったです。

同じ釜の飯を食うという言葉の真の意味というか、それが単なる「昔は良かったよねー」的な回想劇ではすまされない奥の深さを感じました。

その裏には3つの歴史的背景があるのではないかと。
振り返ってみます。



■背景① 一家の栄華こそ命、で集まった若者

百姓上がりで大名になった豊臣秀吉。
つまりは過去から羽柴家につかえる家来は少なく、どんどん領土を拡大していく彼に対して急遽リクルートされた若者たちがのちの賤ケ岳の七本槍となる。なるほど、もうこの時点で既にロマン。

今の就職希望って、都会で一旗揚げる!というよりはどちらかというと個人の希望が大いに尊重されるわけで。自分自身も実家とか親とか、そういうものとはかけ離れた世界で会社を見てみました。

ただ当時は違う。
背負ってるもんが違うんですよね。それぐらい一族の繁栄は大事。

だからこそ必死。だからこそ生き様が濃い。そんな若者同士が一時期を共に暮らす。同じ釜の飯を喰うとは人生そのもの

それ故に経験というか、想い出の貴重さが今とは全然違うのかな、と。



■背景② 対立は、存続を懸けた争いになる

この一家の繁栄ってのが人生の選択においてかなり重要で、一家を繁栄させるために徒党も組むし、裏切りあうのが昔の常識だったんですね。


つまり何が言いたいかというと、
同じ釜の飯を食いあった仲間であっても、時には自分の意思とか、想い出とかとは裏腹にかつての親友を見切る場面が出てくるわけです。

特に戦国の世の勢力図は刻々と変わりますから。その時世を読み違えたら一族が滅亡させられてしまう。8人それぞれの家の事情があるならば、当然8人ともが同じ道を進むことなんて出来ないわけですよ。

現代でも、例えば芸人さんみたいに夢見る方向が異なって道を分かつこともあるわけですけども、当時の場合はそれってイコール殺し合いを意味するんですよね。


そんな人たちが昔を回顧して同じ釜の飯を喰った仲間、と言う。本当に重い言葉なんだなと、改めて思いました。



■背景③ 身分が違えど、過去は裏切らない

戦国時代ってのは封建制度のど真ん中ですから、主従関係は絶対に超えてはいけない一線。

そんな世の中の常識に対しても、若いころのよしみ、すなわち同じ釜の飯を喰った仲間であれば例外となり得るってのはかなり良かったですね。


制度だったり、世間の当たり前を超越する関係が、若いころ培ってきた経験には宿るんですね。

小説の中でも8人にはそれぞれの性格や事情があって、歳を取れば少しずつ身分に差が出てきます。それはしょうがない事。

それに翻弄される者。あまり興味のない者。しぶしぶ受け入れて自分の道を行く者。色々あるんですけど、色々あるなりにどこかでは繋がっていて、大事なところでは腹を割って話しているわけです。

若い頃のめぐりあわせ、経験ってのが、自分の人生において本当に大事な時代だったんだなと改めてそう思いましたね。



■最後に

これら熱い回顧録の中心に、天才・石田三成がいたというのがこの小説の核心だと思うのですが、やはりそうさせているのも「あいつのことは昔から知っている」という何にも代えがたい過去。すなわち同じ釜の飯を喰ったという事実なのかな、と。


自分の人生を豊かにしたければ、
若いころ自分自身を囲む友人をどれだけ色濃く出来るのか。もちろん自分自身も周囲の人間に対してそうあり得るか。これがとても大事。


ターニングポイントなんてあとから取って付けるものなんです。
何事にも代えがたい境遇やそこでの経験が、人生を左右させるうえでとても大切。言い換えればそれが充実していれば人生は豊かになる。正しいターニングポイントが創られるという事なんだと思います。






本日も、最後までお読みいただきありがとうございました。

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