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【迫真エッセイ】転職と苦悩の話⑳

システム開発の本格的な環境を得た僕は意気揚々と・・・と言いたいところだがやはりそんなに簡単ではない。それなりの苦悩を抱えることとなる。

まるでスペイン語で授業を受けいているような日々。例えばそれが(義務教育で少しかじった)英語ならまだ何とか頑張れそうだけど、ほぼ初めて聞く言語となればもはや頭に何も入ってこない。

それは懐かしき、もどかしさだった。


■新入社員

僕は入社してすぐの頃を想い出していた。今と同じように、専門用語がチンプンカンプンだったころ。

あの時も今と同じようにもがいていた。苦しかった。毎日きつかった。日々の業務を俯瞰する余裕など微塵もなかった。必死だった。その日暮らしだった。でも、

めげずに食らいついていたじゃないか!

若いうちの苦労は買ってでも・・・の言葉通り何でもした。解らないことが我慢できず休日に自分の車で現場を観に行った。必要な勉強は惜しみなくして資格も取った。トラブルプロジェクトに何度も突っ込まれた。品管や調達のオジサンたちに何度も怒られた。

それでも当時は、なぜかいつだって前を向いていた。

単なる知識欲求でそこまで出来るだろうか。多分それだけじゃない。がむしゃらというやつだ。それでいい。それがいい。僕は転職して何かカッコつけいていたのかもしれない。

改めて、がむしゃらにやることの偉大さを想い出していた。


■その他のこと①

僕がこの環境に至る過程で、実は2つの特筆すべき出来事が起こっていた。一つ目は、昇進試験だ。

もともと転職のきっかけは昇進試験の失敗だった。当時の仕事でリーダーとして大成功をおさめ、自分が昇進できなかったら他に誰が出来るんだ!と調子に乗って受けて、見事に粉砕されたあの試験。

実はコ口ナ禍になる直前に再受験のチャンスを得て、僕は合格していた

実に不思議な話だ。自己肯定感は前回受験時とは真逆で地に落ちるレベル。仕事に辟易として体力も自信も喪失していた。
準備に掛けた時間も、面談の練習時間も前回試験の1/10ぐらい。とにかくプロジェクトが忙しすぎてそれどころではなかったのだ。

おまけに試験前日にはお客様幹部相手にプロジェクトの進捗報告を行っていた。その資料準備で大事な試験の練習などほとんどできていない。いつもの様に終電で帰宅し、翌日眠い目をこすりながらそのまま試験を受けた


絶対遵守と言われていた発表時間(15分)を2,3分はオーバーした。明らかな準備不足だ。ストップウォッチを持つ人事の視線が痛かった。

逆に面接の応答は無難にこなした。「質疑」と言っても社内でも注目のプロジェクトに関する内容だ。一番詳しいのは自分に他ならない。まるでこちらが質問を受けている様にしてそれは終わった。

出来は最悪だったが、合格した。担当業務の成果など無関係。実に不思議な試験だった。


■その他のこと②

僕は開発に戻ったことをきっかけに、基本情報技術者の資格取得を目指すことにした。システム開発者の入門編的な試験だ。

こちらは惨敗(笑)。

PMPを持っているのでマネジメントや経営戦略の分野は点が取れる(普通はこちらが苦手な人が多い)。それなのにテクノロジーやアルゴリズムの1丁目1番地の分野が散々だった。何たるいびつな設計者。

ただこれは僕のモチベーションをかなり上げた。解らない所の輪郭が見えれば、克服は早い。これが今の僕の唯一にして、とても大事な新入社員時代との違いと言っていい。

分からないこと自体は、それでいいのだ。大事なのはそれを克服する速度なのだ、と。


■未来

自らその立場を降りた自分が再び管理職に登用されることはこの先すぐには無いだろう。

ただ、

そのうち必ずオファーが来るだろうという妙な自信がある(笑)。それは他でもない。僕自身が弱きを知って、他の人を理解する力を身に付けることが出来たからだと思う。

これまでは自分の信念を強固に持ってグイグイ引っ張るのがリーダーだと思っていた。おかげで鼻も良く伸びた。でも今は少し違う。僕を開発現場に戻してくれた上司がそうだったようにサーバント(フォロー型)なリーダーの素晴らしさに触れたのも大きかった。



「パパは課長?それとも部長?」

数年前。家庭を顧みず夜遅くまで仕事のみに没頭し、ほとんど育児が出来なかった娘も、そんな質問をする歳になった。

僕は胸を張って答える。

「パパはどちらでもない。パパはね、エンジニアなんだ。




ーーーーー
完。

(あ、いや。人生は続く)

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