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【真実】汗と自己肯定感の関係
汗をかくということは猛烈に不快です。
一番しんどいのは駅のホームで電車を待っている時ではなかろうか。とにかくホームは暑い。
どうしても乗り遅れてはいけない電車があるのだろうか。駅に向かって猛ダッシュしている人を見るとハラハラします。これで乗ることが出来なかったら次の電車まで滝汗とwithする羽目になるぞ。
どうか乗れますように。。。と、余計なお世話にも拘らず心から心配してしまう。
それだけ汗をかくということは(想像するだけでも)不快なのだ。
■不思議
前々から気になっていたんだけど、汗というのはどうやらかきたくないと強く思っているから不快なのかもしれません。
その証拠に、
我々は夏になると口では「暑い暑い」などと不満を漏らしながらも一方で、いえーい!とはしゃいで自ら炎天下の海やプールに行ったりします。
つまり、自分の中で肯定さえしてしまえばわざわざ熱い場面に身をさらすことなんて余裕で出来てしまうのです。
つまり、汗=不快 なのではなく、かきたくない場面での汗=不快 だということではないか、と。
そして、
このことをはっきりと認識しておけば、汗によって自己肯定感を得ることすら出来るのではないかと思うのです。
■筋トレ
一般的に、筋トレをすると自己肯定感が満たされると言われています。
しかし、筋トレと聞くとハードルが高いと感じる人がいるのもまた事実です。
なぜならちょっとしんどいから。
しかし、
(これは個人的な仮説にすぎませんけど、)掻いても良いと認めたうえで開き直って汗をかくことで、筋トレと同じような自己肯定感が得られるのではないかと思っています。
筋肉に負担をかけなくてもいい。汗をかくだけで良いのです。
汗だくになっていい服装で、思いっきり屋外で活動して、
そんで冷えた部屋に戻ってきて、着ていた服を一気に脱いで、そのままシャワー室へと向かいます。
そこでササっと汗を流して、パリパリのタオルで体を拭いて、扇風機の前でサラッサラの新しいTシャツに着替える。
冷たい水をググっと飲んで。部屋から眩しい外を改めて眺めます。
もうこれだけで謎の高揚感があり、満足感があり、つまり自己肯定感が増しているのです。
何も成し遂げていないのに、なぜだか達成感があったりします(笑)。
そう、それだけでいいのです。
■究極の「べき」
僕たちが機嫌を損ねたり、妬み嫉みを持ってしまう原因はたった一つしかなく、それは「べき」という感情にそぐわないからです。
私は彼より評価されるべき。彼に選ばれるのは彼女ではなく私であるべき。私の子供はあの学校に合格するべき。明日は晴れるべき。推しのチームは勝つべき。
いずれも無ければ、あるいはいなすことが出来ればストレスに成らないことは容易に想像できます。
そして、
その究極とも言える「べき」こそが、汗など掻かずにいるべき、という思想。
自然環境と人間の体のつくりに抗おうとしている、実に勝ち目のない「べき」。
つまり、
汗なんて掻いちぇばいいじゃん!と思うことでこの不快感は取り除くことができるし、なんなら筋トレと同じような自己肯定感が得られたりするのだ。
■試しに走ってみる
ワイシャツをパンツにきっちりとインするサラリーマン。どんなに汗をかいてもタオルをシャツの下にぐおーっと入れて豪快に拭き取ることさえ許されません。
あるいは女性。化粧や髪型のこともあり決して汗なんてかいてはいけないと気が抜けない。
電車に乗り遅れそうになって走ったりなんかしたら最悪。公共の場で滝のような汗と戦わなくてはいけません。
であれば、
もう何のプレッシャーもない帰り道にあえて走ってみる、というのもアリかもしれない。
ガチ走りでなくていい。いつも通り乗り遅れそうな電車を意識して(笑)
ただし、行き先は駅のホームではなく、我が家の浴室へ。
ベットベトのワイシャツを脱いで洗濯機に投げ捨て、颯爽とシャワーを浴びる。
これなら誰にだってできそうだ。
つまり、汗を掻くことで自己肯定感は上がるのだ。
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