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【東北ゆかりの本】心の中に閉じ込めていた想いに気づかされた本

【本との出会い】




以前から、作者・くどうれいんさんのエッセイが好きで読んでいる。

彼女の作品の中には、出身・在住の岩手(盛岡周辺)、もしくは学生時代を過ごしたという仙台が登場する。私も岩手と仙台に縁が深いので、「北上川」や「北仙台」といった、なじみの川の名前や地名が出てくると、情景が浮かんできた。

また雪国ならではのエピソード(『うたうおばけ』より「雪はおいしい」)では、「自分も同じことをした!」と共感することもあり、勝手ながら親近感を感じるようになった。そして次第に彼女の書く作品に惹かれていった。

今回感想文を書く『氷柱の声』は、今年7月に出版された。著者初の小説と聞き、発売を心待ちにしており、盛岡の書店で見かけた時には、即買いしていた。

【あらすじ】



小説の舞台は、盛岡、仙台、石巻、盛岡と移る。時は10年前の東日本大震災(以下・震災)にさかのぼる。

主人公・伊智花(いちか)は、震災当時、盛岡の高校2年生だった。美術部に所属しており、全国大会で最優秀賞を取る実力の持ち主だ。

震災当日、伊智花は盛岡市内の自宅で揺れに見舞われる。ライフラインが2~3日止まったが、復旧したテレビで沿岸部の映像を見て衝撃を受ける。

その後、沿岸部の被災地に絵を送る取り組みのために絵を描くが、「内陸でほとんど被害を受けていない私が何を描くのも失礼」という想いにさいなやまされる。

それから10年の間、彼女は、進学先の仙台で出会った、福島出身の友人や、宮城に住む恋人、さらに就職先の盛岡で出会った、震災後に移住してきた女性、沿岸部出身の男性、それぞれの震災での経験や想いに触れていく。

【感想】


心に残ったのは、伊智花と自分の想いが重なったところだった。
私も甚大な被害を受けた「県」にはいたものの、暮らしていたのは内陸部。ライフラインの停止や、家の壁にヒビが入る、食糧は手に入らない、職場のシステムがダウンしたり、ガラスが割れるなどの被害はあったが、家族や住居、仕事を失ったわけではなかった。

一方で沿岸部に住む親せきや、友人・知人の状況を聞くたび、また東北以外の友人に心配されるたび「自分よりもっと大変な思いをしている人がいる。私の体験は口に出すまでもないことだ」と後ろめたさを感じていた。


そして、何ともないように生活しているようだったが、無意識のうちに想いを閉じ込めていたことに、この本を読み、気づかされた。

特に、仙台で震災に遭った主人公の恋人の、当時のブログの文章を見ているとありありと情景や、感情を思い出した。

だが、この一文を見て救われた気がした。
主人公の友人のセリフだ。

このままみんなが自分の経験を『もっと大変だった人もいるから自分に話せる資格はない』とか言って黙っているうちに、震災のことを語る人はどんどん減っちゃうし、震災のことを語るっていう一番大変な仕事を、結局震災の時一番つらかった人たちにお願いしちゃうってことでしょ。

あの時に感じていた想いを外に出してもいいのだと、言われた気がした。私が話すことで、わずかでも誰かのためになるのかもしれないと思えた。

著者も「あとがき」で、次のように書いている。

多くの方が「話せるほどの立場ではない」と思っているだけで、二〇一一年三月十一日以降、わたしたちの生活はすべて「震災後」のもので「『震災もの』の人生」だ。どこに暮らしていたとしても、何も失わなかったと思っているとしても。

震災から10年、自分の中にくすぶっていた想いに気づかせてくれた。『氷柱の声』という本に出逢えて良かったと心から思えた。


【今日の本】




『氷柱の声』くどうれいん著
講談社

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