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主人公の心の動きを丁寧に描きだした作品【読書感想文】

 最近、小野寺史宜さんの作品を読むようになりました。2020年の本屋大賞で2位に選ばれたことがきっかけです。何冊か読みましたが、どの作品も主人公の心にフォーカスする視点で描かれているのが印象的でした。主人公は、新卒の女性タクシードライバーだったり、スランプ気味の中年の男性作家だったりと、それぞれ仕事やプライベートでもがいていて、決して表舞台で輝いているとは言い難い。けれども置かれた立場は違えど、自分にも覚えがある感情に触れ、つい自分と重ね合わせあっという間に読み切ってしまいました。きっと主人公が自分のことのように思えてくるからかもしれません。そしてこういう感情を持ってもいいんだという肯定されたような優しさがあるところが好きです。

 中でも共感し、行く末が気になったのが『ライフ』の主人公、井川幹太でした。幹太は27歳、大学時代からずっと同じアパートで暮らしています。大学卒業後に就職し、一度転職したものの上司のパワハラに遭い、それぞれ短期間で退職。かつての同級生や同世代に引け目を感じながらも、近所のコンビニなどでアルバイトを掛け持ちしながら生活しています。

 特に「やりたいこと」もなく淡々と日々を過ごしてきた幹太でしたが、偶然再会した高校時代の同級生や、同じアパートの個性強めの住民たち、近所の大人びた高校生などとふとしたことから関わりができ、日常が少しずつ変わってきます。例えば、幹太の部屋の上の階の住民は、自分の浮気が原因で家族と別居中の強面の男性。たまに遊びに来る子どもたちの世話を頼まれたことがきっかけで、休日に一緒に“タコパ(たこ焼きパーティー)”をするなど一緒に過ごすことも増えていきました。また、近所の喫茶店のおばあさんと仲良くなり、いつもおまけにピーナツをつけてもらうようになったり、大家さんの隣に住む大人びた高校生に声を掛けられ、一緒に将棋やサッカーをしたり、同じアパートの劇団員の公演を見に行ったり・・・一つ一つはささやかな変化ですが、人とのかかわりが増えていきます。その中で最終的に「自分がやりたいこと」に気が付いた幹太は、一歩踏み出します。

 私が主人公に共感したのは、幹太に少し似ている部分があると感じたからです。受験期や就職活動期に「やりたいこと」がなく自分がどこへ進めばよいかが見えませんでした。「食べたい」「飲みたい」「遊びに行きたい」といった目の前の欲求は絶え間なく浮かぶのに、長期的な視点で取り組みたいことがわかりませんでした。看護師や介護福祉士といった中学時代からの夢を実現させた友人たちがうらやましくて仕方ありませんでした。

 けど、この話の中のあるセリフにギクッとしました。

「やりたいことが特別なことである必要なないんだよなあ(後略)」
「やりたいことが何もない自分はダメだと思ってたってことなのよね。(中略)で、それは要するに人から見て特別なことをやりたいと思ってなきゃダメだってことなの」

 主人公の高校時代の同級生のセリフです。まさに、過去の自分に聞かせてあげたいくらい・・・。「良いこと言わなきゃ」と無意識のうちに思っていたのかもしれません。

 そして、今の自分への救いとなったセリフがこちら。主人公の母親の言葉です。

「結局、人の役に立たない仕事なんてないんだけど」

そして以下のように続きます。

「一人一人にできることは限られているから」
「いきなり地球を救えって言われても無理でしょ?何をすればいいかわからない。だから自分にできることをするしかない」

 4年前に「やってみたい」と思える仕事に転職しましたが、専門性がないので、時々無力感を感じることもあります。けれども上記のセリフを読み、大きくうなずきました。

 この本を読んだことで、自分の心に刺さるセリフと出会えてよかったと思います。主人公が一歩踏み出すまでの緩やかな変化を急かすことなく、ゆっくりと描き出していく優しさを感じました。


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