見出し画像

閉店間際のスタバは不思議な時間

先日珍しく夜に外出をした。

ちょうど最近読んですごく刺激をもらった二冊のエッセイ本の著者お二人が対談をするイベントがあり、書店で開催されるそのイベントに参加するためだった。

そのイベントの会場となっていたのは、なんとも有難いことに、数ヶ月前にたまたま私の自宅のすぐ近くにオープンした書店だ。都内ではあるものの、都会の中心部からは少し外れたこの地域に、個人書店がオープンすると知ったときから心躍り、実際にオープン当初に一度訪問した。店内の内装や雰囲気はオシャレで心地よく、本の品揃えもとても自分の好みだった。何冊か本を購入させてもらった。

たまたま私にとっては好立地な場所にできた素敵な書店で、たまたま私が最近読んで刺さった本二冊の著書お二人が集ってイベントが開催されるなんて!ありがたい偶然の重なりに感謝をしつつ、参加させていただいた。

著者のお二人は元々学生時代からの知り合いだということで、最初から距離感の近く濃厚な会話が繰り広げられ、最後には会場にいたお客さんからとオンライン配信上からの質問に答える時間を持って、イベントは終わりを迎えた。
(イベントの内容や感想についてはまた別のnoteに書きたい)

イベントが終わったのは21時半頃。

著者のお二人と少しお話をさせていただき、本にサインもいただき店を出ると、夜も遅い時間のキンと冷えた空気の中、最寄り駅まで歩いた。

幸い私の自宅は、この書店の最寄駅からバス一本で帰ることができる。けれど、時間が遅いこともあり、この時間帯はバスの本数自体が日中に比べて減っていて、私が最寄駅に着いた22時の時点では、次のバスが来るまでに30分ほど時間があった。

残り30分。私は駅ビルの中にあるスタバに立ち寄ることにした。

実は、この書店でのイベントに参加すると決めた時点で、帰りの時間帯のバスの時刻表を調べて、バスを待つ時間が長いようであれば、どこかカフェにでも寄っていこう、とそのバス待機時間をひっそり楽しみにしてもいた。

その書店の最寄駅のエリアには元々カフェが多い。とはいえ、バスと同時に最寄駅のカフェを事前に調べたところ、さすがに夜は遅くとも21時や21時半に閉店してしまうところがほとんどだった。そんな中、一つだけ営業時間が22時半までだったカフェは最寄駅の駅ビル内にあるスタバだった。

小学生の子どもがいる私にとって、一人で夜の外出というのはかなりレアな機会だ。夜の遅い時間帯のスタバ、普段体験しないことだからこそ、どんなものかと興味があった。

この遅い時間帯で、しかも閉店まで30分までとなると、店内にはほとんどお客さんはいないのだろうと思っていたのだけれど、実際お店に足を踏み入れてみると、店内がほぼ満席であることにまず驚いた。

22時という遅い時間に、駅ビルのスタバで、みんな何をしているのだろう。

例えばお勤め帰りの人だったとして、この時間帯にカフェにいるということは、少なくとも自分の勤め先の駅にいるというよりは、地元の駅に帰ってきたうえで、カフェでの時間を過ごしているのではないかと予想される(だってこの時間帯にカフェにいて、これから電車に乗って全然違う地域に帰るというのは、やっぱり大変そうだ)。でももはや、地元の駅に帰ってきているのであれば、この遅い時間に寒い中カフェで過ごしているよりも、とっとと暖かい家に帰ってくつろぐほうが心地よいのでないだろうか、でも自宅に帰る前にあえて外のカフェで一息つきたいという思いもあるのかもしれない、などと、注文の列に並びながら、このカフェに集う見知らぬ人たちの過ごし方に思いを馳せてしまう。

列の順番が回ってきて、私はホワイトモカのホットのショートを注文した。書店からスタバまで歩いてくる間に、頼むものは決めていた。まずホットはマストだけれど、さらに今の気分は、とことん甘いものを飲みたい気分だった。対談イベントで著書お二人の会話を聞き、またその対談を聞きながら自分もそこから派生ししていろいろと思考を巡らせて、頭は心地よく疲れていた。普段、カフェではカフェラテを頼むことが多いのだけれど、このときはガツンと甘さのある飲み物が飲みたくて、ホワイトモカにした。

ホワイトモカといえば、まだコーヒーを飲み慣れていなかった高校生時代に、ストレートのコーヒーは飲めないけれど、それでも放課後をオシャレなスタバで過ごしたいと背伸びした自分が、これなら飲める、と初めて注文したホットの飲み物がホワイトモカだった。正確には、当時は「ホワイトチョコレートモカ」というネーミングだった記憶がある。いつの間にか今のメニュー上では、「チョコレート」の部分は省略されてしまったようだ。高校生の私は、ホワイトチョコレートモカの濃い甘さにハマって、それ以来、大学生時代あたりでも、スタバに行く機会があればホワイトチョコレートモカを頼んでいた気がする。

その後、大学を卒業し、社会人になってからも時々スタバに行く機会はあったけれど、その頃はだんだんと甘さ控えめのコーヒーを美味しいと感じるようになった。とはいえまだストレートは苦すぎると感じるお子ちゃまな私は、ミルクたっぷりのカフェラテに移行した。でもそうやってカフェラテのおいしさを知った後、ある日、またスタバを訪れて、久々にホワイトチョコレートモカを飲んでみたら、そのときの私にとってはそのあまりの甘さがしんどくて、それ以来、学生時代はハマっていたホワイトチョコレートモカを頼むことはなくなった。

けれど、ぐるぐると思考を巡らせて疲れた頭で、寒い夜道を歩いてきたこのの私にとっては、あの濃厚すぎる甘さを再び口にしたい気分だった。今なら、またあの甘さを美味しいと感じながら飲める気がする。ということで、「ホワイトモカ」を注文した。

「店内でお召し上がりですか?」と聞かれ、「はい」と答えると、「30分で閉店ですがよろしいですか?」と再度確認される。確かに、仮に閉店時間を知らな買ったら、あと30分しか店内にいられないと伝えられたら、イートインをテイクアウトに変えるかもしれない。私は元々閉店時間を知っていたので、「大丈夫です」と答えた。

ドリンクを受けとって、数少ない空席の一つに腰を下ろし、ホワイトモカを口にした。

*サインをいただいた本2冊とともに*


記憶していた通り、濃厚な甘さだ。でもそれが、今はとても美味しい。甘さが、温かさが、冷えた体と疲れた脳に沁み入るようで、なんとも幸せな気分になった。思わずふぅ…と息が漏れる。

私がドリンクをちびちび飲んでいる間にも、お客さんはひっきりなしに店内に入ってくる。テイクアウトの人も多いけれど、それでも「店内で召し上がる」人もそこそこいた。しかも、ただドリンクを頼むだけでなく、しっかりとフードも頼んでいる人も多い。

少し驚いたのは、閉店10分前に入ってきた中年女性二人組で、それぞれが飲み物とショーケース内のケーキを一つずつ注文した。「あと10分で閉店ですがよろしいですか?」と店員が確認をして、そのうえでケーキをお皿に乗せてもらっていた。

彼女たちがトレーに乗ったドリンクとケーキを持って、私の斜め前の席に腰かけるのが見えた。彼女たちは、残り10分で、このケーキを食べるわけだ。あまりゆっくりできなそうだけれど、いいのだろうか。10分でケーキを食べるって、しっかり味わえるのだろうか。折角のケーキを焦って食べるのは、なんだかもったいなくはないのだろうか。

そんなことを、自分のホワイトモカをちびちび啜りながら思う。

でも目の前の彼女たちは、笑顔でお互いに向き合い、なんだか話をしている。余裕すら感じるゆったりとした動きで、ケーキの周りの透明フィルムを剥がそうとしている。

22時半に近い、閉店間際のスタバで、二人で向き合ってケーキを食べる。彼女たちには彼女たちにしかわからない、その時間の必然、もしかしたら切実さがあるのかもしれない。

そしてふと私の右寄りの前方の方に目をやると、スーツを着たサラリーマンらしき人が、真剣にノートパソコンを覗き込んでいるのが目に入った。ちょうど斜め前にいる彼のパソコンが、私からいい角度で見えてしまう。
ついつい目をやってしまうと、私に目に映ったのは、彼のパソコンに次から次へと映し出される麺類の写真だった。わかめと揚げ玉がたっぷり乗ったそば、ホタテとコーンが乗ったうどん、かぼすの輪切りが乗ったうどんもあった。そういったいろんな種類の麺類の写真が次々とパソコンのスクリーンに現れるのが、サラリーマンの肩越しについ目に入ってしまう。

私の想像は勝手に膨らむ。彼はもしかしたら麺類メニュー専門のブロガー、もしくはインスタグラマーなのではないだろうか。全国各地でいろんな麺類を食べて、それを写真に撮り、吟味した写真をSNSにアップしているのではないだろうか。このSNSが一般的になっているご時世で、結構ありそうな話だ。

でもそうだしとして、22時半のカフェでやらなくても、自宅で帰ってからやったらいいのに。いやでももしかしたら、会社勤めを終えて、自宅に帰る前の、閉店間際のスタバでのこのひとときが、彼にとっての気分転換であり、癒しの時間なのかもしれない。スタバで大好きな麺類の写真をひたすら眺めて分類していく時間。彼にしかわからないその時間の充実感。

そんなふうに人間観察をしていたら、時間はあっという間だった。22時半のバスに合わせて、22時20分にはお店を後にした。スタバでのほんの20分の時間。でもとても濃厚で、心地よい時間だった。ちょっと非日常にワクワクしたりもした。

まだ少しだけドリンクが残っていたので、カップを手にしたまま、やってきたバスに乗り込んだ。バスの中で、残りのドリンクを飲み干す。少し冷めた状態のホワイトモカは出来立てホヤホヤのときよりも甘さが増して、ちょっとむせそうになる。

自宅近くのバス停でバスを降りて、空のスタバのカップを持って帰宅した。

子どもたちはもちろん、会社帰りの夫ももう寝ていると、事前にLINEをもらっていた。でもふとマンションの自分の家の部屋を見上げると、家族がみんな眠りについて真っ暗なはずの家から、カーテン越しにひっそりと明かりが漏れている気がする。

マンションのエントランスを抜けて、階段を登って自宅のドアを開けた。

すると、玄関からリビングへと繋がる廊下の電気が私を出迎えてくれた。玄関のすぐ横にある夫の寝室は引き戸が閉められている。廊下の電気がついていると、引き戸を閉めない限り、電気の灯りは夫の寝室に漏れ入ってしまう。眠るときにこの明かりが部屋に入ってきてしまうと、眩しくて心地悪いと、夫は普段から言っている。だから、普段は夫が寝る時間には、廊下の電気は消すのだ。

でも今日は、あえて廊下の電気をつけていてくれた。その代わり、自分の部屋には灯りが入らないように、引き戸を閉めてくれている。

きっと私が帰ってきたときに、家が真っ暗だったら私が怖がるだろうとか、寂しがるだろうと、夫がそうしてくれたのだ(実際に私は家が真っ暗なのは苦手、と日頃から伝えている)。

そんな夫の優しさに、ふと涙すら出そうになる。

楽しい時間を経て、閉店間際のスタバを経て、帰ってきた私を出迎えてくれた廊下の光。

その温かさに、胸がじいんとする。

とても、いい夜だった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?