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真実はいくつもいくつもいくつもある


簡潔に。

真実は

裏の裏、

先手を読んで、

一周回った時には

違う真実になっている。


真実を探した時と見つけた時が
必ずしも同じとは限らない。


なので、基本的に詮索はしないことにしています。

詮索をもう少し分解すると

「仮定を立て、それを立証する証拠を集める行為」

だと思っているのですが、

同時に、詮索には予感がつきものです。

その予感は良いものであれば予感のままにし、

悪い予感であれば追求せずにはいられない。


そして大体、その時の心境は不安で、

本来なかった結果を引き寄せてしまう。

詮索というと大げさなので言い換えると
現代語で「嫉妬」です。

私はそうやって壊してきたいくつもの、者たちの
亡骸を思ってきたので、
ある程度は放棄できるようになりたいと思っています。

真実を見つけた時には、真実を変えてしまった後である可能性もある訳で

真実はいくつもいくつもいくつもある。

私たちができるのは、どの真実にするかだけです。




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