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未来も過去も「今」の積み重ね


毎朝ハンドドリップでコーヒーを淹れています。
ていねいな暮らしとかそういうことじゃなくて、無心になれるからです。


コーヒーを淹れると「今」を感じる!


不安な時は、今じゃないことを考えてしまう


暮らす中で、私たちはたくさんの考えごとをしています。
「あとは、あれして、これして。」
「何時には○○しないと。」

そして、焦ったり悩んだりしている時は、ほとんど「今」に関係ないことを考えています。


「なんであんなこと言ったんだろう。」
「来週の集まり嫌だなあ。」
「このままで、いいのかなあ。」


それはほとんどが、過去の後悔。未来の不安。

それがモヤモヤや集中できないことにつながっていると思います。


今が減っている現代社会


テレビを見ながらスマホでニュースチェックしちゃったり。
きれいな景色を見ながら、SNSのタイムラインが気になっちゃったり。

その一方で、検索すれば過去のことだって、どんどん調べられる。


目の前のことに集中している時間より、他人が何をしているかが重要に感じちゃったりする。
生きている時間に対して、与えられる情報量が多すぎて、速すぎて、処理しきれない。


今を感じると幸福感が増す?


私は一時期、検索魔になっていました。
育児のことなど、正しい答えを探して探して、探しまくっていた時期です。

この月齢なら何をするといいのか。
どんな食べ物が体にいいのか?
イヤイヤの正しい対応の仕方とは?

でも、いつもフリーズしたパソコンみたいに、頭の中がぐーるぐるしていました。
たくさんのことを知っても、理解や、整理が追いついていませんでした。


そんな時に「今を感じる」という概念を知りました。

ご飯を味わって食べる。
布団や服の肌ざわりのよさを感じる。
自然の風景を美しいと感じる。
子どもの顔を、瞳を、反応をじっくり見る。


そうして今にいると、過去の嫌なことや、未来の不安を感じることなく、ただ幸福を感じられるというのです。


でも、私はそんな簡単なことが出来ませんでした。
頭の中に不安がいつもいて、ご飯を食べていても、子どもと散歩をしていても、気づくと話しかけてくるのです。

「ご飯の用意はできてる?」
「明日の準備はできてる?」
「この生活を続けていて、将来大丈夫?」


集中しないとできないからこそ良かった


そんな時に始めたのが、コーヒードリップです。

豆を挽きます。
お湯を沸かします。
サーバーとドリッパーあたためて準備します。
ペーパーフィルターに挽いた豆をいれます。
お湯をそそいで、ドリップ。
お湯を注ぐときは、集中して円をかくように。
一定の量で。
粉がぷくっと膨らんだら、お湯を注ぐのを止めて待つ。
真ん中がくぼんできたら、また注ぐ。
そして、落ち切らないうちにドリッパーを外す。
カップに移す。


こんな風に、コーヒーを淹れる時は、決まりごとが多いです。
最初はあわててしまって、ひとつひとつをゆっくりするしかありません。
でも、そのおかげで、コーヒーを淹れる時は無心でした。
「今」にいました。

もともとは、今を感じるために、好きな飲み物を飲む時間を持とう!ということを聞いて、好きなコーヒーを淹れてみようと始めました。


それ以前は、インスタントコーヒーを飲んでいました。
でも、カップにわさっと粉を入れてお湯を注ぐだけ。
味わうとかもなく、ただの作業でした。
子どものお昼寝タイムに、起きないか冷や冷やしながら飲むので、意識はコーヒーには集中していない。

まずはインスタントコーヒーをじっくり飲むことから始めました。
色んなメーカーを飲み比べたり、カップを変えてみたり。


そのうちドリップを始めると、座って味わって飲むようになりました。
今日はアイスかな?ホットかな?
牛乳は入れようかな?
砂糖はどうしようかな?
カップはどれにしようかな?
次はどんな豆を買おうかな?
と、味わうためにいろんなことを考えるようになりました。


そして、その時も今にいました。
1日のなかで、たった10分くらいですが、その時間は「とても豊かだなあ」と感じるようになれたのでした。


無心になれるならなんでもいい


けっきょくは夢中になれるなら、なんでもいいと思います。

草むしりでも。
ゲームでも。
パズルでも。
ダンスでも。

1分でもいいから、ちょっとだけ今、目の前の時間を味わってみる。
不安なことはあるけれど、ちょっと置いておいてみる。
何もしたくないなら、深呼吸してみる。

過去の後悔や、未来の不安のない、豊かな今がある。

また、不安になってもいい。
ただの現実逃避と思ってもいい。
また悩んでいい。

私もそんなことを繰り返して、今ではいつも不安にまとわりつかれている感覚がなくなりました。


過去も未来も今の積み重ね


今日、不安に思って泣いたとしたら。
それが、明日には「不安で泣いた」過去になる。
そして、一昨日からみれば「不安で泣く」未来になる。

だから、ほんとうに「今」がすべてなんだと思う。


私は、頑張って何かをしなきゃと思っていました。
就職できれば。
結婚できれば。
子どもがいれば。
お家があれば。
お金があれば。
そうすれば、幸せになれるんじゃないかと。

でも、人は物質的な何かや結果を手に入れるから幸せになるんじゃない。
何かが足りないと思っているうちは、どれだけ素敵なものを手に入れても満足することはないんだと知りました。

そう思っているうちは、次から次へと手に入れたいものが変わるだけ。
不安は、一時的に解決したって形を変えて別の不安がやってくる。

なんとなく満たされないから、何かを手に入れないとと思っている。
そして何かが手に入ったら変われると思ってしまう。
でも、そういう風に「未来のために何かをする今」を過ごしたら、未来の今も、さらに未来のために何かをする今が待っている。


未来のために出来ることは、今を変えることだけだったんです。

それは、「じゃー資格をとろう!」とか「好きな仕事に転職しよう!」とか外側を変えることではない。
自分の内側の意識を変えること。


他人の素敵なものじゃなく、私が欲しいものはなんだろう?
私の好きなもの、心が震えることはなんだろう?
誰と一緒にいて、何をしたいんだろう?


お金がいっぱいあっても。
他人が羨む肩書きがあっても。
たくさんのいいねをもらっても。
それをもらえないとダメだ、何かしないと自分に価値がないと思っているのは、心が窮屈でしかたない。
自由に、自分のことを見せられないのは不自由だ。

夫とハグして、ありがとうと言う。
子どもたちと一緒にゲームをして、けんかして、仲直りをする。
ご飯を作って、お風呂に入って、お布団で寝る。

これを幸せと思えなければ、何を手に入れたって幸せではない。


目の前の相手と、どうしたら気持ちよく過ごせるか。
嫌いな掃除も、どんな部屋で過ごそうかって考えたらやる気がでたり。
食べたいものを、自分で作って味わうこと。
雨の匂いを感じること。
沈んでいく太陽を見て「あぁ美しいな。」とつぶやく。
五感をフル稼働して、目の前のものを感じる。

そういう日常の小さなことが、大きなギフトで、ありがたいことで、そして人生なんだと思う。
そうしたら、いつの間にかちょっとずつ、何かが変わっていく。
きっと。


まだまだ「いまここ」を忘れてしまう時もあるけれど、自分を責めたりする必要はない。
もう遅いなんてことはない。
いつでも今からはじめられる。
だって未来は「今」なんだもの。
それが、大きな安心感なのです。

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