見出し画像

たんたんたんと日常は

先日、実家に帰省してきました。

今年に入ってすぐも帰っていました。
感染症が拡大してから長らく帰れていませんでしたが、久しぶりの実家は少しの変化と穏やかな時間がありました。

なぜまたすぐに、というと母が入院したからでした。

今のご時世、夫のお父さんですら荷物の受け渡しのみで面会はできません。
だから帰ってきてもどうしようもないよ、と言われました。

それでも、なんとなく帰ることにしました。


ふと、実家に帰る時はいつもお母さんにLINEで連絡をしていたなぁと気づきました。
そして、お母さんかお父さんか、まれに2つ年上のお兄ちゃんが駅まで迎えに来てくれました。
お父さんとLINEで時間のやりとりをしたりするのはなかったなぁと。

駅に現れたお父さんは、いつもと変わらないような感じでした。

お正月に訪れた時は、一面に雪が積もっていました。
除雪車がどけた雪が、次男の身長くらいになっていて、子どもたちはめったに見れない雪に興奮していたっけな。

雪がなくなると、玄関の前に石畳ができていることに気づきました。
玄関の前の少しの部分に、丸い石が並んで埋め込まれています。
これは私が小学生だった頃に、お兄ちゃんとおじいちゃんと一緒にせっせと石をならべて作ったものでした。
その範囲よりも、さらに広く石が埋め込まれていました。
お父さんが作ったそうで、なんてマメなんだろうと思います。

家に入ると、変わらず整っていました。
両親はきれい好きではないけれど、あるべきものがあるべき場所にある家でした。
ボールペンはここで、はさみはあっちで、新聞紙はここ。
家を出ても、変わらずに同じ場所にある。

家の中には少し元気のない観葉植物と、水槽には魚が口をパクパクさせて泳いでいる。

冷蔵庫をパカッと開ける。
そこには、いつものものが少しだけ。
朝ごはんにいつも食べている納豆やヨーグルト。
冷凍庫にはお肉やえびや油揚げ。
野菜室には野菜とお酒がたくさん。お父さんは飲まないけれど、私が好きなお酒が冷えている。

夜ごはんはお土産に買ってきたものをみんなで食べました。
わいわい楽しいけれど、何かがたりない、そんな気持ち。


次の日の朝、起きるとほかほかのご飯が炊かれていて、お味噌汁ができていました。
いつも通りの、実家の朝。
私達が来たからではなく、いつものものをちょっと多めに作ったよう。
食べ終わると、お父さんは魚にエサをあげて、春の畑仕事へ。

私たちも、何をするでもなくふらっと散歩にでかけました。
風景としては田んぼがあって、川があって、山がある。
今住んでいるところと大差のない、田舎ぐあい。

ふらふらと歩いていると、自然とうちの畑につきました。
うちの畑は同じ地区の人たちのひと区画にありますが、他の区画には黒い防草シートがひかれている箇所がぽつぽつと。
もう畑をできない、しない、というお家は防草シートで覆って雑草が生えないようにしているのです。
私の実家は過疎化しています。

他には誰もいない中、お父さんは柵を作っていました。
柵そのものも、うちの竹林の竹を切って割って作ったもの。
なんてマメなんだろう。

畑には苺とにんにくが植えてありました。
私の小さな菜園と一緒。

畑の脇にはタラの芽があって、これは何でしょうクイズをだされても、子どもたちは答えられなかった。
自然はいつもと変わらずに、どうして芽をだす時期がわかるんだろう。


午後は車を借りてお出かけへ。
私は行きたい場所がひとつあったのです。
湖のスコーレ(うみのスコーレ)
発酵食品を扱うお店らしいということくらいしか知らずに行ったけれど、とても素敵な場所だった。

私の好きな部類の雑貨が並んでいて、ちょうど欲しかったものがあっていくつかを買った。
滋賀県には知られていないけれど、魅力的なものがたくさんあると思っている。

お米の和ろうそく。欲しくてネットで見ていたら滋賀県の会社だった!

米どころ、という印象はないと思うけれど滋賀県はたくさんのお米を作っています。そして、食べる用だけでなく酒米やもち米も多くて、京都の和菓子屋さんにも卸しているんだとか。

このお店のコンセプトが「対岸の人を思う、すこやかな暮らしの学び。」
晴れた日に琵琶湖を見ると、対岸が見えます。
私は、小さなころは「あっちには何があるんだろう」と思っていた。
でも、その反対側も同じ滋賀県なのでした。
それでも、子どもから見た琵琶湖は海と同じように広く、反対側はまるで外国のように遠かった。

対岸の火事、という言葉がある。
もし、琵琶湖の反対側で大きな炎が見えて、黒い煙がもくもくと上がっても、きっと何もしないだろう。
大丈夫かな、大変かな、そう思っても決定的な何かを出来るかはわからない。
それは、今の自分が立っているこっち側が安全だからだ。
対岸で起こることを、遠い外国で起こっていることのようで関係ないと感じているからだ。

でも、対岸の暮らしは私たちの暮らしとつながっている。

私と同じくらいの人が、息子達と同じくらいの子供を連れて、夫と同じような仕事をする人と、朝起きて、ご飯を食べて、そして散歩しているだろう。
同じ空気を吸って、同じように季節を感じているだろう。
そう思うと、対岸は対岸じゃなくなる。

みんながそう思えれば、もう少しだけ平和に暮らせるのかもしれない。


夜ごはんは、お兄ちゃん家族と合流して餃子をたくさん焼いた。
お酒をたくさん飲んで、子どもの頃の話をしたら、みんなの記憶が食い違っていて驚いた。
それぞれが絶対に真実!って言い出したら、もう真相はわからないな。
思い出っていうのは、あいまいなものだ。

みんなで包んだ餃子たち


酔っぱらったのは珍しい。
ふわふわした気持ちで眠ると、また炊き立てのご飯とお味噌汁の匂いで目が覚めた。

そして、ばたばたと実家を後にしたのだけれど、きっとお父さんは明日もご飯を炊いて、お味噌汁を作るのだろう。

夫とお父さんはすごいね、と帰りに話した。
「俺はすずちゃんが入院したら、あんな風に生活できない。」と言った。
あんな風とは、あるべきものをあるべき場所にしまったり。草木に水をあげ、魚にエサをやったり。朝はご飯を炊いて、お味噌汁を作ったりすることだ。

イレギュラーなことが起こった時、いつも通りの生活を送ることは、自分を整えてくれるけれど、それは大変なことだ。
それでも、普通と特別がいっしょにあるのが日常なんだ。

いつもの通りの生活を、淡々とこなす。
それは、すごく普通で、だけど2度とない特別なこと。
私も今ある日常を大切にしたいと、お父さんの姿を見て思うのでした。

この記事が参加している募集

ふるさとを語ろう

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。 とっても嬉しいです!! 他の記事はこちらにまとめてます↓↓↓ https://note.com/suzu710/n/n1c65747c24cb いただいたサポートはお菓子の試作などに使わせていただきます!!