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「不要不急なんていう言葉はなくなってしまえ」と泣いていたあの日の私へ

絶望していたあの日の私、XIIXがこんなに素敵な曲を作ってくれたよ。

私のように、自分の大切なものを「不要不急」と言われて苦しんだ全ての人に届いてほしい。


誰の言うこともわかっちゃいない 
それでも全てを手にしてきた 
譲れるわけがない


誰の言うことも響いちゃいない 
色々潜り抜けてきたんだ 
あとはお察しください

トラックも楽器もギターソロもめちゃくちゃ素敵なんだけれど、特に歌詞が好きだ。

自分が信じて大事にしてきたものを簡単に譲れるわけないんだ。

私はこの曲を聴いて、コロナ禍の自分の経験を思い出さずにはいられなかった。

「不要不急なんていう言葉、なくなってしまえばいい」と悔しさを覚えた自分と家族の経験とこの曲の歌詞や生まれた背景が重なりすぎて、聴いているとちょっとしんどくなる。でも、とても大事な曲になりそうだ。今だけじゃなくて、私の人生において。

私の実家は、東京の下町にある小さな居酒屋だ。両親は二人とも地方から東京に出てきて、がむしゃらな情熱だけで、居酒屋激戦区で25年間、店の暖簾を守ってきた。25年間、特別な工事などを除いて、年末年始以外は年中無休という働きっぷり。両親はもちろん、私達姉弟にとっても、お店は第二の家のようなすごく大切な場所だし、スタッフの皆は家族だと思っている。

ところが、2020年の4月以降「不要不急」の外出は自粛、呑み屋は感染の温床ということで今も営業時間短縮が続いている。

両親が、私たち家族が、ずっと愛して誇りに思っていた空間と仕事って「不要不急」だったんだな。そう思うと毎日毎日悲しくなってしまって、宣言が出る直前は、外が暗くなると気持ちが落ち込んで一人で泣いていた。自分の大事な場所が感染源だと報じられているのが辛くて、テレビは全く見られなかった。

宣言が出る前日、親のことが心配になって実家に帰った。「明日からはしばらく店を閉めないといけないから、残った食材食べに来なよ」と父に誘われ、大好きな店のカウンターで食べた料理は、あんまり味がしなかった。

宣言が出た当日、両親が店に働きに行かず、リビングでテレビを見ている実家の雰囲気は今までにないくらい暗かった。「不要不急と言われてしまったら仕方ない」「政府からお金がでるからとりあえず大丈夫」「珍しく家族4人揃ったね」「今収入あるのは○○(弟)だけだなあ」なんて楽観的な言葉を口にしているけれど、全然目が笑ってない。

その日の午後、父は居ても立っても居られなくなって、結局一人で黙って店舗に行った。店を開けないんだから、する仕込みもないはずなのに。

「やっぱりお父さん、テイクアウトだけでもいいから店を開けるみたい」と、母。

そうだよね。誇りを持っている仕事を簡単に譲れるわけがないんだ。お金がもらえるから生活はできるとかそんなことじゃなくて、できる範囲で、自分の大事な場所を守ることに必死なんだ。それが生きている意味なんだ。食糧がスーパーで手に入るなら、居酒屋なんてなんの役にも立たないかもしれないけれど、私たちにとっては意味があることなんだ。

もちろん、居酒屋の宴会が感染拡大の元になっているという現実は直視しなければいけない。でも、最大限の配慮をした状態で私たちにできることはまだあるから、諦めるわけにはいかなかった。

両親は仕込みを始めた。私は宣伝部隊になった。美味しそうな料理の写真を選んで印刷し、テイクアウト用の看板を作った。少しでもテイクアウトの問い合わせを増やそうと、SNSに疎い両親に代わって店のInstagramのアカウントを開設した。

そうやって自分たちの存在意義を探しながら必死に生きていたら、少しずつお客さんが戻ってきた。「この店をつぶすわけにいかないからさ」と常連さんが毎週のようにテイクアウトを注文してくれた。ああ、この人たちにとってもこの店は意味のあるものだったんだ。不要じゃなかった。

Instagramのフォロワー数も、1年間で270人まで増えた。父は、でっかい文字のスマホを使いながら、何とか定期的に投稿している。いまだにインスタが正方形ってことを覚えてないし、文面はおじさん構文だけど。

秋ごろに実家に帰ったときに、父に感謝された。「あのときインスタを始めてよかった。お客さんからの反応が嬉しい。待っててくれる人がいるのを実感できる。」と。よかった。私の存在も、この店にとって不要じゃなかった。

1年弱経った今もまだ普通には全然戻っていないけれど、「useless」を信じてかき集めながら私たち家族と店は生きている。両親の「youthless」が詰まったこの店を、コロナに潰されるわけにはいかないんだ。

コロナ禍でこんな思いをした私にとって、「ユースレス・シンフォニー」が刺さらないわけがなかった。ボロボロ泣いた。MVも相まって、それはもうボロボロに泣いた。歌詞を読みこんでナタリーの記事を読んで、また泣いた。

音楽を好きで、XIIXを好きで良かった。

「不要不急」という言葉を憎んで憎んで憎んでいたあの日の私は、二人に救われたよ。音楽は人を救うんだよ。たかが5分弱で。


飲食店業界だけでなく、アーティスト業界も、旅行業界も、航空業界も、他の大変な業界も、どうかこの波を乗り越えてほしい。

自分の大事なものを「最高だ」と言える日が来るまではまだもう少しかかるかもしれないけれど。でも、もうすぐだよ、きっと。

「役に立たない」ものを愛する人すべての人へ、この曲が届くことを願っている。

おわり。






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