恋愛ではなく結婚を選ぶ意味
様々な生き方を選択できるようになった今日、結婚は選択肢のひとつでしかない。
しかし、そんな世の中でも、私は恋愛ではなく、結婚することに大きな意味を感じている。
「恋愛でもいいじゃないか」と思う人もいるかもしれないが、恋愛と結婚は似ているようで、前提が全く異なる。
恋愛は「いつか終わりが来るもの」という前提のもとに成り立っているのに対し、結婚は「一生続くもの」という前提のもとに成り立っている。
この前提の違いから、恋人と夫婦ではさまざまな関係性や期待するものの違いが生じてくるのだ。
「一生続くもの」という前提のもと、恋人関係を終わらせて夫婦になることを選択した私と彼であるが、結婚をすることで変化したことがある。
それは、「生きる意欲が芽生えたこと」である。
結婚をしたことで、私は一生一緒にいるべき相手を持った。
お互いにそう約束したのだ。
だから、自分は相手のために存在しなくてはならないし、相手にも存在していてもらわないと困る。
人間は一人でも生きていけるというけれど、「自暴自棄」という言葉があるように、時折、生きていくことに対する意欲が下がってしまうことがある。
なんでもどうでもよくなったり、存在していることがつらくなったりするのだ。
健康維持だって、仕事だって、人間関係だって、生活というのは、自分のためだけにするには面倒くさすぎる。
一人だと、そういう自暴自棄を抜け出すことが難しいし、自暴自棄の波は定期的にやってくる。
しかし結婚をすると、「生きることそのもの」が目的になる。
生きて守りたい人がいる。
生きて一緒に生活したい人がいる。
この先に長い二人の人生がある。
その事実が、私に「生きる意欲」を与えてくれる。
健康的な食事、適度な運動、楽しく生きられるだけのお金と労働。
かつて面倒くさかったことや、どうでもいいと思っていたことも、「この人より先に死んじゃあしょうがねえな」とやる気になる。
これは、結婚してから芽生えたものだ。
生きる意欲って、自己実現や趣味の充実などでも得られるが、結婚で得られる生きる意欲は、もっと簡単で、もっと根本的である。
なぜなら、得るために努力をする必要や、得るための条件があったりしないからだ。
結婚相手に求めることは、究極、なんでもいいから、ずっと一緒に存在してほしいということだと思う。
人生の主語を、”I”から”We”に変えよう、ということ。
人生の最小単位を変えること。
だから、結婚することで得られる「生きる意欲」は強く、ゆるぎなく、私の中にとどまる。
低気圧やホルモンバランスの乱れ、日常のちょっとした嫌なことや、大きなネガティブがあったって、この「生きる意欲」はビクともしない。
すぐに起き上がって、ご飯を食べることができる。
生きる方向に私を強く向かわせる。
結婚をして、なんだ、ずっと生きる意味を探してきたけど、こんな簡単なことだったのか、と私は拍子抜けしている。
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