感想と解説『スカイ・クロラ』著:森博嗣
年末年始の時間を利用して本を読もうということで、用意した数冊から一冊目はスカイ・クロラ。事前知識、全く無し。
即座に二周読んでしまったほど素晴らしい本だった。そのまま本の内容と感想を整理したくなったので、割と詳細に本の内容を自分なりに整理して書いた。ネタバレを多分に含む感想になったので、未読の方は読まないでね。
以下ネタバレあり
世界観
主人公の一人称視点で物語が進む。主人公はどこかの基地に転属になった戦闘機パイロットらしい。なにやら主人公の記憶は曖昧なようで、転属前のことはあまり覚えていないのか、多くは語られない。世界観もハッキリせず霧に包まれたような様子である。主人公の名前はカンナミユーヒチ。カンナミの所属する企業だか国が、別の企業だか国と戦争している、そういう感じの設定のようだ。
物語の終盤まで読み進めても、本当にこれくらい世界観が曖昧である。
というのも、この作品、小説の決まりごとがことごとく守られていない。世界観やキャラクターを詳細に描写することは、小説のお決まりごとのはずでは?
『スカイ・クロラ』では、主人公の周囲数メートルの情景しか描かれない。なにやら基地があって、ちょっと遠くによく行くダイナーがあって、たまに出かけるゲストハウスがあって……のように、主人公が行った場所が点と点で説明されるのみである。
さらに、主人公のキャラクターも曖昧、記憶も曖昧、周りの登場人物描写も曖昧である。会話もなんだか噛み合っているのかいないのか、終始ふわふわしている。
極め付けに、序盤で突然飛び出る謎ワード『キルドレ』
ファンタジー要素があるのか、リアルな戦争モノなのかも分からない、そんな中、何の説明もなくこの謎ワードが飛び出し、そのまま物語は進む。
『キルドレ』が何かが明らかになるのは終盤である。しかし、ずっと謎だったこのワードこそが、この作品全体を覆う霧を晴らすとは。
物語の終盤、三ツ矢という登場人物によって語られるキルドレという存在。それは、遺伝子制御剤の名前であり、そして、その開発過程で偶然に生まれた特異な人間のことを指すようだ。
曰く、キルドレは歳をとらず、永遠に生きる。永遠の命を持つ存在は、人々から戦争の道具として利用される。現時点ではキルドレが生まれて二十年ほどが経過している。
ほんの僅かな過去と、永遠ともいえる未来を持つキルドレは、脳が処理する莫大な情報に対処するためか、忘れっぽくなるようだ。夢を見るようなぼんやりとした感情が精神を守り、昨日のことも先月のことも昨年のことも全部区別がない。夢で見たことで過去にあった現実を改竄しさえする。
この性質が主人公のカンナミにはあり、そのカンナミの一人称視点で物語が進んでいたからこそ、霧がかかったような曖昧な物語になっていたのだ。
さらに、カンナミの転属前には戦死した栗田仁郎(クリタジンロウ)という前任者がいたが、その者はカンナミの上司である草薙水素に殺されたという。そして、栗田はもう一度再生され、新しい記憶を植え付けられ、カンナミが作られたという。
さて、この情報を前提とすると色々と納得いくのである。
まず、転属先の人々が、ことごとく転属したてのカンナミに何の説明もしないのである。まるで昨日まで一緒に過ごしていたかのように。
また、同室の土岐野に連れて行かれたダイナーでは、土岐野が頼んだミート・パイの味を聞かれて「そういえば、だいぶまえに食べたことがあるよ」とカンナミが答えたところ、土岐野は大笑いしている。これは、カンナミが何度もここでこのパイを食べていたことを土岐野は知っていたからだろう。
また、この後土岐野に連れていかれた連れ込み部屋における、(おそらく)娼婦のフウコとの会話においても、フウコは前任者の栗田仁郎と親身であったことと、カンナミの一人称「僕」や二人称「君」に「なにそれ」と笑うシーンがある。これもおそらく、フウコは、カンナミが栗田であることを知っていたから出た笑いなのだろう。
一方で、カンナミの上司、草薙水素もまたキルドレである。そして、おそらくカンナミ、もとい栗田仁郎のパートナーであったのだろう。
草薙水素は老けて見られるように努力している、と文中で述べられており、また、基地内には若者が多く、一歩基地を出ると若者は本当に少ないとも述べられている。若いだけでキルドレだと思われても仕方がなく、戦闘法人か宗教法人のいずれかが仕事だと推測されてしまうらしい。
この世界では、キルドレは戦争用の人員として便利に使われているのだろう。後半で三ツ矢も、天然の生物たる鯨と、養殖の家畜を比べて、その命の価値の違いを述べている。つまり、養殖(作られた人間)のキルドレの命は、天然の生物である人間に比べて軽んじられている世界なのだ。カンナミも、草薙水素も、同僚たちもみな、キルドレなのだろう。
さらに、草薙水素には、草薙瑞季という娘がいる。中盤で突然基地にやってきて、カンナミとお話をしたがる。とても楽しそうに、可愛らしくカンナミについて回る。
この子もおそらく草薙水素とカンナミの間に生まれた子どもだと思われる。何度目の初めましてかは分からないが、瑞季の方は慣れている様子で、カンナミとお話をする。その様子はとても楽しそうだ。
また、おばさん集団が基地を見学にくるというシーンもある。瑞季とおばさん集団の来訪は、キルドレは何か分からない中盤に突然描かれるシーンであり、ただでさえ曖昧なストーリーの中でも、特にその必要性がよく分からないシーンである。
水素の命令でカンナミが案内することになるが、その時リーダーのおばさんが、水素に渡してくれとお土産を置いていく。それは子どもが喜ぶような着せ替え人形であった。
水素が頑なに案内役を嫌がっていたことと、このプレゼントを見て「全く厭味なことしやがる」と言ったところからすれば、このおばさんは水素の母親であろう。着せ替え人形は娘の瑞季に向けたプレゼントなのだ。キルドレが何かが分かっただけで、これらのシーンに意味が生まれるのだ。
そして、戦争の道具として利用され、記憶も植え付けられてしまうキルドレたちは、何度もお互いに殺し合い、生まれ変わり、また出会う。草薙水素とカンナミも、きっと最後のあの後に、また新しい名前と記憶を持って出会うのだろう。
死生観
草薙水素の語る死生観について。
水素は常に死を意識しているようで、それは一時の感情ではなく、常に自分の人生をいつ終えるかという冷静な予定として考えられているようだ。
一方で、自分の人生に対して、自分ではなにも変えられない絶望感も同時に持っているようだ。「自分の人生や運命に少しは干渉してみたい」という発言は、自分の死期を自分で決めたいという思いの表れで、永遠に生きるキルドレであるからこそ当然辿り着く考えなのだろう。
人には寿命があり、それは誰にも変えられない。それが運命と水素は言う。つまり永遠に生きるキルドレには運命が無い。
翻って、寿命のある我々人間の生について相対的に考えるきっかけをくれる本なのだろう。
我々は運命に支配された存在であるからこそ、自ら死期を選べないし、常に死を恐れるから、人生に目的や希望を探そうともがくのだろうか。
本の装丁
さて元々この本はネット記事で紹介されていたリアル友人のおすすめ本だったわけだが、そこでは文庫本でなく単行本の方が紹介されていた。
いい本にはオーラがあると彼は言っていたが、確かにスカイ・クロラの単行本は、真っ青な装丁に白が四角く縁取られている。それは病室から見上げる空のようで、本文ラストの主人公が見て「綺麗だ」といった最後の風景を表したようでもある。
一方、私はたまたま本屋で単行本が売り切れていたので文庫本を買わざるを得なかったわけだが、文庫本の性質上、作者の熱心なファン以外の読者に訴求しなければならず、本屋の棚に並ぶ中で、作品の中身を一目で推察できるような表紙絵でなければないないのだろう。
戦闘機に乗り込む草薙水素女史のイラストが描かれているのだが、正直言うと単行本の装丁ほどの感動はなかった。
それほどこの作品に漂う雰囲気の美しさというか「空」そのもの空気感は素晴らしい。戦闘機に乗って殺し合いをし、手に汗握るドッグファイトをしているはずなのに、心にはどこまでも深い青い空が広がる。キルドレたちの生き様そのものと重なってどこまでも純粋な青が目に浮かぶのだ。
巻末の解説で、イラストを担当した鶴田謙二氏自身でさえ「絵が無いから良かったのに」と述べており、勿論彼の絵も素晴らしいのだが、やはりこの本が読者の心に描く情景として、単行本の装丁は完璧すぎたようだ。
余談だが、文庫本にはお決まりとしてあらすじが裏表紙に書かれているが、これがまあ最悪の中の最悪で『キルドレ』とは何かを書いちゃってあるのである。
キルドレとは何かが本の終盤になって初めて明らかになるからこそ、この本を覆っていた霧が晴れて青空が広がる感覚を得ることができるのではないか。その点、このあらすじ書きは、貴重な読書体験を完全に読者から奪っている。
ところで、マンガ「それでも町は廻っている」に登場する嵐山歩鳥が、本を読むときは、あらすじどころか表紙の帯さえも目に入らないように即カバーをかけて読み始めるシーンがあったが、本好きにはあるあるの事態なのだろう。
さらに、スカイ・クロラがシリーズ化していることも知らなかったので、帯にもネタバレされてしまったわけだが、それでもこの本は傑作であることに変わりはない。森博嗣自身も巻末のインタビューでこれを超える本を書くのは難しいと言っていた。
ネタバレせずスカイ・クロラを体験できてよかった。作家さんの新作を追う熱心な読者の特権ってこういうところにもあるんだろうなと思わせてくれる一冊だった。
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