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余白の〝余〟

 〝今年の漢字〟は何だろう? 
清水寺での発表がちょっと気になりはじめると、私自身の一年も漢字一文字で表現してみたくなる。

 2022年の冬至…すっぽりと〝闇〟につつまれながら、〝漢字〟をさがしてみる。
 
 〝闇〟のなかでひっそりと、今年を振り返ってみるが…ただ、その〝暗さ〟を味わうだけで…何も浮かんでこない。

 ひとつだけ…ロシアがウクライナに軍事侵攻する準備を整えたというニュース…うんざりするほど重すぎる衝撃だけが鮮やかに浮かんでくる。

 リアルな戦いを衛星写真から分析し、軍事侵攻の時刻まで予測して解説する…

 台風や寒波の天気予報みたいに、軍事侵攻予測は的中し、実況を伝える夥しい写真やビデオがスマホにアップされる。

 涙、別れ、嘆きの叫び…美しい景色に爆弾が炸裂する…悪夢としか思えない現実の出来事を受けとめるしかない。

 ひとりひとりの必死の抵抗を軍事力が踏みつぶし、闇のなかに封じ込めようとしていた。ダークサイトが広がり、世界は闇につつまれるのかもしれない。

 〝軍事力〟と、目に見えないコロナウィルスの脅威…悪夢が現実になるのは、そう難しいことでもなさそうだ。

 どんよりとしたストレスを纏って、いつも通りに仕事をし、ポケットの消毒薬がみつからないとイライラした。

 〝何か〟が人生から失われていった一年だった。

 〝願いは叶う〟とか、〝愛は勝つ〟…たわいないけれど、人生に光を与えてくれる〝楽観的な信頼感〟は彼方へと消えていった。

 苦い現実にミルクを入れてみても、甘い眠りに誘ってくれた幻が戻ってくるわけでもない。

 〝なんとかなるよ〟
とんな時にも聴こえていた囁きはもう聞こえない。

 〝果報は寝て待て〟
お気楽に笑う私もいなくなってしまった。

 〝余〟
いつのまにか、人生の余白部分に押し出され、もう戻ることもできない。余白と言うより、〝あまり〟ということ。もがいたところで、虚無のぬかるみをより深く進みそうだ。

 清水寺で発表された2022年の漢字は〝戦〟…私の漢字は当に〝余〟だった。余白部分には道筋さえなく、身を隠すようにひっそり消えているのがいいのかもしれない。頑張ることも意味がないかも…

 そんな〝余〟を抱えたまま、2023年のお正月を過ごした。〝自分〟という輪郭から離れ、余白部分で淡々としているのは、妙な気分だった。 社会からも、自分からも、置いていかれた寂しさをあきらめの乾いた風が吹き飛ばしてしまうのが、なんとも楽だった。

 七草粥を炊きながら、鼻歌を歌っている自分に気がついた…あるべき姿から解放され、自然にエネルギーが流れ、余白部分を潤し、新しい〝何か〟が動きはじめている。

 まだ慣れていないけれど、もしかしたら、〝余白〟は豊穣な場所なのかもしれない。しばし〝余白〟を流れにまかせて探索したい,。

 探索の果てさて!2023年末に、いったい私は、どんな〝漢字一文字〟を手にしているのだろうか。

 

 

 


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