読書感想:日本の自殺(第一部その2)

この記事の続きですが、本記事だけでも完結しています。
3部構成からなる日本の自殺、うち1部のまとめその2。

部分まとめ

豊かさの為に、二十世紀文明は真っすぐに進んできたが、何らのマイナスを伴わない絶対的プラスは存在し得ない。
プラスはマイナスと共に在り、マイナスもプラスと共に在り、決して一方だけで存在するものではない。

マイナスの副作用ははっきりと自覚すべきである。
この自覚を欠く時、福祉国家は人間と社会を堕落させ、自由は無秩序と放縦に転嫁し、民主主義は全体主義と衆愚社会をもたらす。

豊かさの代償は、人間の精神的視点で見ると以下の通り。

・使い捨て的な大量生産、大量消費の生活様式が人間精神に与えるマイナス影響

使い捨て的な生活は一時的、新奇性に高い価値を与えるが、人間と物との関係がかりそめの一時的な関係になり、絶えず新しいものを追い求める結果、その生活は心理的に極めて安定を欠いたものとなる。
欲望は絶えず刺激されて肥大化し、いつになっても充足感が得られない。

・子供たちへの教育
現代の子供たちはいわゆる温室育ちである。
生活環境が温室化すればするほど、教育は人為的にでも厳しい挑戦の場を提供すべきなのに、教育は過保護と甘えの中に低迷してきた。
こうして自制心、克己力、忍耐力、持続性のない青少年が大量生産され、さらには、強靭たる意志力、論理的思考力、想像力、豊かな感受性、責任感などを欠いた青年が大量生産されることとなった。

・思考力、判断力の衰弱
我々は「押しボタンの世界」で生活している
ボタンを押すだけで、パンが焼け、飯が炊け、洗濯物が仕上がり、部屋が涼しくなる。この生活環境で、思考能力と判断力は低下する。
押しボタンの先はブラック・ボックスであるが、我々はブラック・ボックスの仕組みを理解する必要はない。

知っているべきは、どのボタンを押せばどういう利益が得られるかということ、つまりインプットとアウトプットの一覧表だけである。
また、思考力、判断力の衰弱は情報過多も一因である。

昔の民衆は、完全井自分自身の生活体験を通じてテストした知識の枠内で図式を作り、それでもって人生や世界を測っていた。
彼らの知識や情報は限定されていたが、少なくとも彼らの生きる生活空間に関しては賢明さと生活の知恵を持っていた。
それに引きかえ、現代人は自分の直接体験をしっかりと見つめる時間を失い、自分の頭でものを考えることを停止したまま中途半端で、皮相な知識の請け売りで、世界中の出来事に偉そうに口を挟んでイライラと生きている。

このように、戦後日本の繁栄は他方で人々の欲求不満とストレスを増大させ、日本人の精神状態を非常に不安定で無気力、無感動、無責任なものに変質させてしまった。

感想

ざっくり、以下の理解をした。

便利になって知識が増大したように見えるものの、それは表面的であり、「生きる力」とでも言うべき能力が、昔の人より衰退している。

この衰退は便利さの副作用であり、副作用をしっかりと理解しないと、社会・人間は更に堕落する。

じゃあどうしたらいいのか?がムズイ。
この便利な社会から「外れて」暮らすことはできない。

徐々に便利さの副作用という毒が濃くなっている中、副作用を頭に入れておくことにより毒の巡りを遅らせる、というのが現実的で妥当なアクションな気がする。

加えて、副作用を頭に入れておくためのベースづくりとして、脱欧米化思考を推奨してみる。

白か黒か、自己中心的、一元的で支配的な欧米的(なイメージ)の思想だと副作用が見えづらい。
なので、旧来の日本的な思想への回帰すべし。
すなわち、八百万の神様をはじめとする多元的で調和的な思想。
かつ、「無常ではかなく、頼りない現世」みたいな万能感、自己中心的な思想の真逆をベースとする。

今はあまりにも万能感、自己中心的な思想に寄りすぎていて、これが副作用が見えづらくなる一因にもなっている気がする。

以上、おわり。


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