読書感想:日本の自殺(第一部その1)

3部構成からなる本書、日本の自殺
中々に衝撃的で不安になるタイトル。

本記事執筆現在、まだ1部しか読み終えてないが、、

超金言の宝庫。
正解of正解。
私の『この世を幸せに生きる為の防具?お守り?』的な思想に見事追加されました!!(テッテレー)
正に運命的な出会い。
テンション爆上がりしました。

中身濃すぎて1冊まるまるだとまとまり切らない。
まとめようとも、私の脳みそが情報過多で処理しきれなそうなので、第一部で区切って感想文にまとめる。
と思ってたけど、第一部だけでもまとめるの大変だったので、後から第一部「その1」としました笑

部分まとめ

著者は多くの古代文明の滅んだ理由を研究した。
滅んだ原因を、あらゆる外からの攻撃によってではなく、内部からの社会的崩壊によるものとの結論づけている。

天災や外敵の侵入などの災害によるものではなく、道徳や社会秩序などの内部崩壊が根本原因。
外敵の侵入、制服、支配などの以前に自分自身の行為によって挫折していた、すでに腐っていた状態であり、これら外的要因はそこにとどめを指すか、既に腐ってしまっていた後にこれを貪り食ったに過ぎない。

つまり、文明の没落は社会の衰弱と内部崩壊を通じての『自殺』であった。
古代世界最大規模の文明、ローマもしかり。
そして、今の日本がローマがたどった道とかなり酷似している。(なので本書タイトルは『日本の自殺』となっている)

ローマについて。
国土だけでも今の日本の10倍くらい(すげえw)、古代文明最大級の都市。
そんなローマが滅んだのも正に内部崩壊から。

指導者(政治家)は大衆の人気取りコンクールを通じて指導者の地位を得るようになった。
大衆はその要求を際限なく拡大し、無責任な指導者はみずから保身と権力のためにこの法外な要求にどこまでも妥協・迎合し続けた。
エリートが大衆迎合主義の中に自信と責任を失って崩壊。
大衆は権利ばかり主張して責任や義務を負うことを忘れ、思考力は目に見えて衰弱、低下、社会は「自己決定能力」を喪失していった。
(これだけ読むとハテナかもしれない。私も分かったようでわかってないかもしれない(笑)。けど、これ以上まとめる&理解するのは大変だから以上!(笑)とにかく世の中ヤバくなった道のりがこんな雰囲気ってことだけ伝われば)

日本も堕落の道を辿りつつあるように見える。
ただ、自律性と「自己決定能力」を失わない限り、乗り越えられないものではない。
日本没落の真の危険は、資源や輸出などの客観的、外部的、物質的制約条件の中に存するものではなく、日本社会の内部的、主体的、精神的、社会条件の中に潜んでいる。

感想

なんてこった。
1984年の本ですよこれ。
最近書かれたといっても全然納得できる。
コロナ禍で浮き彫りとなった様々な日本社会が重なった。

私的な、私の為の要約をしてみる。

社会は人間個人の集合体。
個人がちゃんとすれば、社会もちゃんとする(逆もしかり)。
市民だ政治家だ関係なく、人間個人や社会の幸福のためには、個人個人が以下のように生きるのが大事。
・気概、プライドを持つ。
・芯を持って行動し、迎合しない。
・執着を捨てる、依存しない。
・他者を敬い、自己欲求をある程度抑制し、長期的な目線で熟考する

、、、あれ、これってつまりモテ男の条件じゃないのかね。笑
社会を良くしたい=個人を良くする=モテる。
なんかこの繋がった図式、謎に気持ちいい。笑

さて、そして私は本書から1つ核心した。
2000年前から、人間にとって大事な事の本質はほとんど変わってない。
大事なことを昔から言っている人は沢山いて、同じような事言っている。
(著者しかり、引用で出てきている歴史家・思想家しかり)
ただ、それを我々はほぼ学んでない、教訓にできてない。
つまり、人は基本的に歴史からあまり学ばない。

歴史から学ばない事例を考える度、漫画「ワンピース」の空島回想編を思い出す。

非現代的で昔の風習に生きる人たちが暮らすシャンディアという島に、学者?のノーランドが上陸。
その島では疫病が蔓延していたが、「悪霊のしわざ」だと考えられていたので、村娘を生贄に捧げることで災厄を収めようとする。
これにノーランドはブチギレ。
疫病は既に特効薬が存在し、薬を飲めば普通になおる病気であった。
「この成分を世界中のどれだけの人々が、どれだけの時間を費やし探しまわったか!」
「お前たちの儀式は、探検家や研究者たちへの侮辱だ!」

コロナ禍は天災なのか。
情報混乱、印象操作、間違った対応による人災なのか。
人災だとするなら、ノーランド的に言えば「過去頑張った人達」「失敗した人達」への侮辱行為なのではないか。

コロナ禍を戦時中の失敗に例えるような話があるけども、だとしたら、やはり戦争にあまり学んでないってことになる。
「戦争反対」とか「平和万歳」とか言葉にするのは簡単だけども、戦争の反省をコロナ禍という有事に活かしきれてない今、なんだか表面的にしか感じない。
当時「未来の日本のため」って死んでった人たちに対して、とっても失礼だし、報われないなと思った。
我々はシャンディアの島民とあまり変わんない気がする。

それでいいのか。


否。


圧倒的、否!


少なくとも私個人は、心の中にノーランドのセリフを刻みたいなと思う。



いやはや。




それにしても、やっぱすごいよワンピース!尾田栄一郎!(そこw)


はい、おわり。
気が向いたら続き書くよい(どどん)


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