何者かになるのではなく、自己表現からなりたい自分に導く
何者かになりたい、ずっとそんなふうに思っていました。
でも、何になりたいのか?
好奇心だけはあってやりたいことは色々してきたはずなのに、なんだか満たされない。
この正体は「何をしたいか?」ばかりに目を向けていて、「どうありたいか?」を考えていなかったからだと気付きました。
何をしたいか?の前にどうありたいか
やりたいことをやり続けていても、成し遂げたいことや実現したいことに向かっているのかは分からない。
結局本当にしたいことではなかったのかもと辞めてしまって、また違うことを始めたり、やりたいことが変わり続けたりしてしまう。
そうすると何も継続できないというループから抜け出せないですよね。
だからこそ、どこに向かうこともできない。
どうありたいのか、どこに向かおうとしているのか方向性をしっかり定めることで、何をしていくべきか軸を持って行動することができるようになります。
自己選択の理由を言葉に
「どうありたいのか」考える上でヒントとなるのが今までの選択の理由です。
なんで始めてみようと思ったのか?
大学生で軽音楽部に入り、ギターとキーボードを弾いたり、社会人になって写真を始めたり、子供が産まれて文章を書き始めました。
これらをしてみようと思った理由には共通点がありました。
潜在意識の中で自分を表現する方法を模索していたのだと思います。
音楽は聴く方が好きだと1年でやめてしまったのですが、写真は7年続けています。
そして、書くことは本格的に始めてからもうすぐ1年になろうとしています。
自分の色を出したり、世界観を創り出せる表現方法として写真撮影と書くことはしっくりきていて、何よりも楽しく没頭できます。
自己分析の方法として、今までの数々の選択を言葉にしてみることで新しい視点を見つけられそう。
また1番夢中にさせる要因として、写真や書くことを通して嬉しい言葉をもらえることも原動力となっているのだと思います。
「写真の切り取り方がセンスを感じる」「写真の色味があなたの世界観だね」と言ってもらえたこと、「言葉が素敵」「考えるきっかけとなった」と言ってもらえたこと。
私の表現から何かを感じてくれたり、考えるきっかけとなることが嬉しい。
自分自身の表現から自分の中にあるどうありたいのかの答えが導き出されるのではないか、そんなふうに感じます。
何者になるかよりも重要なことは自分を表現する方法を知っているかどうかだと思うのです。
自分なりの表現方法で自分のことを可視化して理解を深めていくことができれば、どんな状況も受け入れて前に進めそうですね。
そのあとに気付けば何者かになっているのかもしれません。
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