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「時間」を大切にする人は相手の「時間」も大切にしてあげよう

僕がテンションが下がるとき。
それは、
・苦手な人といる時
・満員電車に乗っている時
・単純な書類作業をしている時
・大切にしているモノが壊れてしまう時
等です。

もう少し掘ると、
・苦手な人と居る時間が勿体ないと感じる
・満員電車でなければ、本を読んだりできる
・掛けている時間に対して、書類作業では大きな変化は見込めない
・本来必要のなかった修理等の時間が増える

こんな風に、常に時間に対してのトレードオフがあまり見込めないことに嫌悪感を感じることがあります。

苦手な人と話すのが嫌というよりも、良い時間を過ごすことができないことが嫌であったり、
知らない人が満員電車で近くにいることが嫌というよりも、本来できるはずのことができないことが嫌。
書類作業が嫌というよりも、同じ仕事の時間を過ごすならもっと大きなインパクトが出せる時間を優先したい。
最後に、壊れてしまうことが嫌というよりも、余計な修理で掛かってしまう時間、そして壊れていなければそれを使えた時間が失ってしまうことが嫌。

上記のように、僕の場合は「時間」をどう過ごすのかを大切な価値判断基準にしているのがわかりました。(もちろん前段の条件も好きではないですが笑)

つまり、同じ時間を過ごすなら、
できる限り充実した、そして自分らしく過ごせることを好んでいることがわかりますね。

しかし、この価値判断基準を自分の中で持つことは良いことだと思うのですが、相手にも押し付けてしまう。
それは価値の強要=エゴになってしまいます。

例えば、サーフボードが壊れてしまったとして、先に海から出たとしても、他の仲間はまだサーフィンがしたいかもしれません。
その時に、自分のボードが壊れてしまったから帰ろうとするのはただ自分の時間軸の強要をしてしまっています。
その時は相手に理由を説明し、納得してくれたら帰るという選択をするし、納得してくれなかった場合は相手の時間を尊重して待つことにする。

ただエゴを押しつけて、機嫌を悪くするのは自分の時間しか大切にできていません。
本当に「時間」を大切にしたいなら、相手の「時間」も大切にしてあげる。

一人で完結するなら自分本位に動いて良いと思いますが、そうでないならば相手の時間まで大切に考える。

そのくらいの気概を持って日々を過ごす方が、
もっと良い「時間」を過ごせるようになるのではないでしょうか?

結構難しいなとも感じるのですが、相手の時間まで尊重し愛すことができるような人間になりたいなと思います。

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