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不動産系スタートアップを退職して、SaaSプロダクトのPdMになった男の話

巷では、「メ◯カリを退職しました」のようなキラキラ系スタートアップの退職エントリーを目にすることがあります。
エントリーの中に書かれる、メンバーの方々はキラキラ!そして、仕事内容も、エキサイティングでキラキラ!です。

一方で、タイトルにある、不動産系『スタートアップ』ではどうだったでしょうか?
はたまた、キラキラだったのか、そうでなかったのか、、、
本エントリーで振り返りも込めて、私自身の経験をお伝えできればと思います。


自己紹介

お前は誰だ?という質問に答える前に、まずは退職エントリーの枕詞から始めたいと思います。

2020年1月末をもちまして、ハウスバード株式会社を退職致しました。

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ということで、枕詞も書けて満足したので、自己紹介に移ります。

【自己紹介】
・名前:鈴木結人(25)
・趣味/特技:バスケットボール
・得意料理:ハンバーグ
・休日の過ごし方:畑で野菜を育てる(なお、3月末で畑を解約済み)

よくわからない自己紹介も終えたので、
インターン時代から通算で3年3ヶ月お世話になった、ハウスバード株式会社での日々を振り返っていきたいと思います。

入社のきっかけ

ハウスバードには正式に入社をする前に、学生時代からインターンをしておりました。

大学3年生も後半となり、飲食店でのバイトぐらいしかしたことがなかった私は、
漠然と「このままでは就活やばくない?」と不安になりました。

そこで、巷で「就活には長期インターンの経験が有利」ということを聞いた私は、
某インターン掲載サイトを使って、某英字辞書の会社に応募をしたわけです。

履歴書や志望動機なんか、今までの人生でそこまで考えたことがなかったので、
1学年上ですでに就活済みだった彼女に色々助けてもらい、一通り書類を揃えました。

そして、満を辞して臨んだ、初のインターン面接、
結果は…

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履歴書や志望動機っぽいものは、彼女の力も借りたことで形にはなっていましたが、
面接では聞かれたことへの回答がチグハグだったので、
そりゃそうか…という感じです。

ですが、一回落ちて学ばない私ではありません。

まず、落ちた理由を考えました。

・倍率が高い
・志望動機が薄い
・キャラが薄い(?)

「就活でやばいから」ぐらいしか本音での志望動機がない私は、
倍率が低くて、猫の手も借りたくて、キャラとかそこまで気にしていなさそう、
というインターン求人を探せば、受かるのではないかという短絡的な思考で行動を始めました。

・倍率が低い = 給料が安い
・猫の手も借りたい = 創業したてで人がいない

そこで見つけたのが、ハウスバードでした。

給与は無給(お昼は奢ってくれる)というハードロックな条件なので、倍率がかなり低く、
創業したてで、社長直下(a.k.a 社長しかいない)というものだったので、猫の手も借りたい状態と推察し、
お金が欲しいのではなく、就活で話せる経験が欲しかった私にはぴったりでした。

某インターン掲載サイトから応募をし、面接をすることになりました。

当日になり、とりあえず、指定された住所に向かった私は、
目の前のビルを見て仰天しました。

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※イメージです

私「高層ビルだ…」
私「あれ、創業したてのベンチャーじゃないのか!!?」

驚きながらも時間になってしまうので、オフィスに向かうことに。

入り口のインターホンから指定された番号を押し、
「エントランスフロアでお待ちください」とのことだったので、
エントランスフロアで待ちました。

数分すると、女性が現れました。

ジャンダー的なあれではないですが、当時会社というものをよくわかっていなかった私は、
案内の人がきたのかなっと気軽に思っていました。(あれ、社長しかいないんじゃなかったっけ?)

女性「社長の浅見です。」

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社長しかいないということはわかりつつも、
社長という存在を直接目にするのは初めてだったので、
すごくびっくりしたのを今でも覚えています。

挨拶も終え、エレベータで上がり、会議室に通されました。

高層ビルだし、こんなすごいところで働けるのか…
っと、まだ受かってもいないのに、はやる気持ちを抑えられないでいました。

面接では、私の高校時代の経験とかを話、興味を持っていただけたのか、
なんなく終わりました。

浅見さん「今週の土曜日からいかがですか?」

しかも、当日に内定もいただけたという。

1回目の会社でくしくも落ちてしまった私ですが、
仮説の通り、受かりました。

それが、私がハウスバード株式会社に入社した経緯です。

ちなみに後日談ですが、
ここまで読んでいただけた方々は、
私が高層ビルと呼んでいたビルが、普通のオフィスビルとなんか違くないかと考えたのではないでしょうか?

その通りで、ただのマンションでした。
(スタートアップあるあるのマンションの一室からってやつですね)

初めての出社の時に、インターホンで部屋番号を押して、
「〇〇階の〇〇〇号室に来てください」と言われ、
「あれ、前回と違う部屋じゃない?」と思い、
マンションの一室に通された私は、激しい肩透かしを食らいました。

やってきたこと

〜インターン時代〜

インターン生として初めての仕事を今でも覚えています。

ハウスバード株式会社は、一般的な中古の一戸建てを民泊(正確には旅館業を付与するので、ホテル・旅館と同じ括り)に転用するサポートをする業務をしております。

当時、お客さんが購入した不動産が接している道路が私道で、
その私道の入り口の権利をお持ちだった住民の方が、
「民泊にするなら通さん!」と主張し、あたふたしておりました。

浅見さん「弁護士.comというサイトから、不動産に強い弁護士のリストアップをお願いします!」
私「おかのした!(※ 了解の意)」

ということで、住民の方の主張が法的に正しいのか確認するために、弁護士を探すというのが私の最初の仕事でした。

Excel(正確にはスプレッドシートでしたが)もろくに使ったことがない私でしたが、
とりあえず渡されたテンプレートにぽちぽち弁護士の情報を入れていきました。(なんか、不動産みたいなタグ(?)がついている弁護士さんをリストにしていた記憶があります)

もうデータが残っていないので正確には覚えていませんが、
項目もバラバラで、アウトプットとしては私史上最悪のものだったと思います。

浅見さんにアウトプットをお渡ししたら、
浅見さん「アポを取るので、弁護士との面談に同席しますか?」
私「はい!」

弁護士先生と浅見さんの面談に同席しましたが、話がちんぷんかんぷんでした。
何を話しているかもわからず、ただただ、横でない頭をフル回転させながら聞いておりました。

なんかつづがなく終わり、
浅見さん「いい先生でしたね!」

ということで、問題解決なのかと思いきや、
浅見さん「他にも解釈を知りたいので、鈴木さんがアポを取って、聞いておいてもらえませんか?今日私が話したみたいに話せば大丈夫です!」

無茶振り

『THE 無茶振り』です。

しかし、NOとはいえないYESマンだった当時の私は、
私「おかのした!」

っと、いうしかありませんでした。(orz…)

ということで、弁護士先生を探す作業へ。
当たり前のことではありますが、まずはアポを取るところから始めます。

新卒の時に初めて電話をしたときにやったことを、皆さん覚えていますか?

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あの電話をかける前になぞに祈りを捧げたりしていませんでしたでしょうか?

その例に漏れず、アポ取りの電話の前に、私は携帯の前で10分ほど祈りを捧げていました。

意を決して、手を震わせながらも電話をかけ、
モゴモゴ言いながら、なんとかアポを取れました。

無料枠での相談だったため、電話での相談だったらOKとのことだったので、
後日、また電話をかけることに。

当日、祈りを捧げながらも、時間になり電話をかけました。

弁護士先生「何を相談したいんですか?」
私「へ、弊社は家を旅館業というものをつけて…(ry」
弁護士先生「?」

弁護士先生はやっぱり頭がいい方々が多いんでしょうね。
最初は「?」になりつつも、私が伝えた単語からなんとなく察して、
論点を整理してくれた上で、色々教えてくださりました。
(ちなみに「ということですよね?」みたいに確認をされましたが、わからないので全てYESと答えました。さすがYESマン鈴木ですね。)

弁護士先生が整理してくださった論点を一言一句メモを取っておいた私は、
それを次から、そのまま話すことでなんとか弁護士先生たちから回答を引き出すことに成功しました!

ちなみに、いろんな弁護士先生の回答を総括すると、
「通常の住宅としての使用であれば、生活のために居住者が通る必要があるので、通行権(私道の場合そこを通行する権利)について所有者がとやかく言うことはできないが、
旅館のように不特定多数が通行する場合にはその主張に対して反論するのは難しいかもしれない。」
とのことでした。

このように、エキセントリックな経験から私のインターン時代はスタートしました。


〜正式入社〜

インターン時代には中華系ファンド用の資料作成のお手伝いをしたり、
知り合いの民泊にお泊まりになったお客さんにヒアリングをかけて、民泊利用での困りごとを調査したり、
通称ハウスマニュアルという、民泊利用者へのガイドブックを作成したり、
と雑務をこなしていきました。

ハウスバードでの経験もあり、「就活のために始めたインターン」でしたが、
私にも目標ができました。

私「起業したい…!」

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しかし、起業のアイデアもないし、いきなり起業することでの金銭的不安に駆られ、
ひよった私は、仕事をしながら起業をするというアイデアにたどり着きました。
ということで、浅見さんに相談することにしました。

私「起業をしながら、ハウスバードにジョインすることは可能でしょうか?」
浅見さん「いいですよ!」

二つ返事で了承をいただけた私は、
6:4(ハウスバード:起業)の割合でハウスバードにジョインすることになりました。
(結局後輩と始めようとした起業も途中でストップとなり、ハウスバードにフルコミットすることになりました)


〜1年目〜

入社してから私に与えられたのは、「近隣住民対応」という仕事でした。

ハウスバードの業務は一般的な戸建を民泊にコンバージョンするというものです。
インターン生時代にあった、住民の方が通行権で反対を主張したように、
往々にして、近隣の住民の方々から厳しいお声をいただくものです。

加えて、主に京都でビジネスを展開しておりました。
京都の方々を悪く言うつもりはありませんが、(そして、突然近所に民泊ができる、ご不安はもちろん察します)
むちゃくちゃ反対されます。

ということで、「近隣住民対応」とは、こうした近隣住民の方々への説明や、
説明会の開催を要望された時に、そのディレクションをするという業務でした。

住民の方々への説明をしたりする矢面に立つのは、主に私の上長にあたる副社長や、
業務委託をしていた現地の業者さんでした。
なので、私は主に説明会の資料作成等々の雑務をこなしていました。

しかし、時々、説明会の時のサンドバック要員として招集されることがありました。

とにかく反対を主張する住民の方々と、
とにかく開業をしたい我々と言う、水と油の状態です。

そして、往々にして反対する側の方が立場は強いものです。

こちらが、説明会でちょっとでも失言をしようものなら、
永遠に根掘り葉掘りそのことについて叩かれます。
我々は永遠に平身低頭の姿勢を崩せません。

少しお茶目な地域では、我々は悪魔のように扱われ、
人格否定をされたりすることもありました。

一方で、先方の意見に反対をしようものなら、炎上しますので、
例え、住民の方から、

住民の方「お前のところのポストから手紙がはみ出してるぞ!」
我々「すみません」
住民の方「俺がここに火をつけたらどうなると思う!」
我々「火事になります!」
住民の方「そうだろ!だから民泊をやるな!」

のような、主張をされても、
「それは犯罪では?」などと異を唱えることは許されないのです。

ちなみに私の同僚はその禁忌を破り、住民の方から、

住民の方「隣に毎日いろんな人が入れ替わりになるなんてありえない」
同僚「いいじゃないですか!変な人が引っ越してきたら何年何十年と耐えないといけないですが、旅行者なら数日でいなくなりますよ!」

という発言をし、説明会を大炎上させました。

そんな、ファンタスティクな1年目でした。


〜2年目〜

2年目(というか半年目?)からは「物件仕入れ」という仕事を与えられました。

当時、大口の顧客だった法人さんが、開業ラッシュを迎えたので、
新規開業はストップして、運用するのに集中したいとなりました。

ということで、他のお客様を探すことが必要になりました。
そこで、私はお客様に当てられる不動産を探すと言う業務を任されました。

ハウスバードは宅建業を持っていないので、基本的に不動産の売買においては不動産会社さんにお任せすることになります。

提携していた不動産会社さんにレインズから良さそうな物件をリストアップしてもらい、
そこに記載されている不動産会社さんに連絡を取り、不動産を紹介してもらうのが主な業務です。

ここで難しいのが、当時の京都は不動産がバブル真っ只中でしたので、
電話をしても、

不動産会社さん「あー、その不動産は売り切れました」

のように、断られることがあります。

断られたのではなく売り切れでは?と思うかもしれませんが、
不動産業では、不動産売買時の仲介手数料が売上になるので、
所謂『両手』を取れないと思われると、売り切れたとか商談中とかいわれ、
紹介してくれないことがあります。

両手とは…

不動産仲介

※画像の人物はあくまでイメージです

当時の私はそうした不動産業界の慣習や仕組みもわかっていなかったので、
とにかく電話をし、紹介いただける不動産を探しました。

電話の中で出てくる単語は専門用語がいっぱいです。

・上物・・・建物のこと。一般的に土地で販売しているが、建物もついてくる場合に、この建物部分のことをそう呼ぶ。
・先物物件・・・媒介しているだけで、専任じゃない物件。なので、電話しても資料をその会社は持ってないので、くれません。
・再建築不可・・・新築が建てられない土地。なので安くなります。
・掘削承諾書・・・前面道路が私道の場合、住民の皆さんでその私道の土地の権利を分譲して持っています。なので、例えばガス管や水道管を家に通すときに、道路を掘削しないといけないので、近隣の方々から承諾を取流必要があり、それを証明する書類です。
・43条但書道路・・・通常、前面道路が建築基準法42条に記されているいずれかの道路でないと、建築行為が認められないのですが、43条の道路でも特例条件で認められた場合の記載事項。

↑ 不動産に関わらない人々にとっては、意味不な言葉の数々です。

そして、そんな専門用語の数々を覚え、紹介いただけるよう交渉術を磨いても次の関門が現れます。
それは、その不動産が旅館業に転用できるか否かというジャッジをしないといけません。

旅館業に転用するにも各市区町村が設ける旅館業条例と、
国が出している建築基準法や消防法の基準を満たしている不動産でないと、
旅館業の許可がおりません。

最後に、民泊としてなので、お客さんは投資用の不動産として紹介されることを期待しています。
なので、その不動産の想定利回りが比較的高くないと、
紹介いただくと言う関門と、旅館業が取得可能と言う関門のどちらを越えても、
お客さんに紹介しても見向きもされません。

ですので、まず提携している不動産会社さんにリストアップしてもらう段階で、
上述の三点を満たす物件でないと、時間の無駄になるわけです。

そうした、課題を感じた私は、
旅館業が取得できそうかどうかを自動でスクリーニングし、
加えて、その不動産を民泊として運用した時の想定利回りを自動で算出してくれる、
夢のようなプログラムの作成に着手することを決意しました。

そんな、迸る期待感を匂わせた2年目(半年目?)でした。

〜3年目〜

3年目からは、引き続き「物件仕入れ」業務を行っていましたが、
隠れプロジェクトとして、不動産スクリーニングの自動化プログラムの作成に勤しみました。

ちなみに、作成したプログラムは、寄稿という形ですが、
幻冬舎ゴールドオンラインさんでの連載企画で紹介しております。

自分の業務を効率化したいという自己の欲望を満たすために、
htmlとcssをちょこっとかけるくらいだった私は、
pythonという未知なるプログラミング言語に手を出すことにしました。

社内にいる人にエンジニアは一人もいませんでしたので、
教えてくれる方は誰もいません。

ネット上に散らばっている情報を、「なんかよくわからないけど…」状態で、
あれやこれやしながらプログラムを作成しました。

最初に作成したのは、不動産情報をポータルサイトからスクレイピングし、
csvに保存するというものでした。

そこから改良に改良をかさね、
・それを自動でスプレッドシートにエクスポートしたり、
・旅館業の取得可否を自動で判定する機能を追加したり、
・flaskでwebアプリ化したり、
・近隣の宿泊施設情報と掛け合わせて、利回りを自動算出させたり、
・djangoでそれら全てを入れ込んで、webアプリ化したり、
という変遷を辿りました。

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最終的に上の画像のような、社内システムに進化しました。

そんな、自分自身の知識をシステム化し、やり遂げた感を出した3年目でした。

なぜ辞めるのか?

ハウスバードでは色々なことを学ばせてもらいました。

ビジネスの右も左もわからない人間が、
・新規顧客や既存顧客のフォローといった営業活動に関わらせてもらったり、
・人の採用に関わらせてもらったり、
・契約書の確認や、契約ごとの折衝に関わらせてもらったり、

っと、おそらく一通りのビジネスについて学びました。

特に学んだことは、自分自身の仕事を仕組み化し、どんどん次の人に渡して、
自分は新しいことをやることが重要だということです。

そして、色々なことを経験させてもらいました。

知り合いの投資家から「日本人の仮想通貨に詳しい奴に登壇してほしい」というオーダーを頂戴すれば、
中国へ1週間後には飛び、仮想通貨の第一人者みたいな雰囲気を漂わせて、
観衆500人(wechatライブを含めると1万人)の前で日本の仮想通貨についてプレゼンしたり。
(その時ちょうど仮想通貨に手を出していたので、ハウスバードで唯一の仮想通貨投資家として召喚されました)

マンションから初めてオフィスに引っ越した時にはやっとオフィスだ!と感動したけど、
和式便所で驚愕したり。
(引っ越す時に交渉して、なんとかウォシュレット付き洋式トイレに大家さんが変えてくださりました。本当にありがとうございます。)

ちなみに、オフィスは入り口からして、悪い言い方をするとオンボロ、良い言い方をするとボロでして、
来訪してくださるお客様からは一様に「このビルは風情があっていいですね」というお褒め(?)の言葉をいただきました。
(オフィスは「人形町」「駅徒歩5分」という好立地で数万円の賃料だったので破格でした。しかし、あそこにお客さんを呼んでいたというのは、今考えても、正気の沙汰とは思えません。)

ということで、たぶん、普通の会社では体験できないような経験を得られたと思います。

では、なぜ辞めるのか?

一つ目は、インターン、そして新卒からハウスバード一筋だったため、
外に出て、自分の力を試してみたいという思いがありました。

周りは中途入社の年上の方ばかりで、同年代の方はいませんでした。
そんな環境だったので、自分がどれだけ成長しているのか、わかりませんでした。
そういった背景もあり、飛び出したいなとふんわり思い始めました。

二つ目は、事業のスピードです。

ハウスバードのビジネスは、中古の戸建をお客様に購入いただき、そこからお仕事になります。
中古の戸建ということもあり、融資が付きづらく、
ご購入いただけるお客様は、融資の制約に関係ない、富裕層の方々でした。

戸建購入費用も含めての全体の単価感や、お客様の特性もあり、
事業スピードという面では、比較的に遅い部類に当たると思います。

自身の経験から思うに、事業の成長の次に自己の成長がきます。
なので、忙しい中に身を置いていたら、いつの間にか自分自身が成長していました。
ですが、自分自身の成長に伴ってできることが増えてくると、
事業スピードの特性もあり、ふと気づいたときに成長していたみたいな振り返りが徐々に減っていきました。

そうした背景から、別の場所でも挑戦してみたいという思いが強くなり、
辞めるという決断に至りました。

今後について

突然ですが!
ENあって、3月2日よりエン・ジャパンにお世話になることとなりました。
(エンだけにかけました)

エン・ジャパンではpastureというサービスのPdM(プロダクトマネージャー)という役割を任されています。

pastureは、企業向けにフリーランス(我々は「パートナー」と呼んでいます)の方との契約から、発注、請求、支払い等を一括管理できるSaaSプロダクトを展開しています。
あの面倒臭かった発注作業や請求作業、そしてそれに伴う社内の承認作業を、
まるっとオンライン上でできちゃう、夢のようなプロダクトです。

弱小スタートアップ から大企業への転職ということで、
日々慣れないワークフロー(稟議)や慣れない言葉(稟議)と格闘していますが、
前職で培ってきたサンドバック力(?)を活かしながら、
pastureをもっと大きなサービスにしていければと思っています。

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