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さくらももこと古畑任三郎の共通点

今でこそ「日常のささいなことを切り取るエッセイを書きたい」なんて思ったりしているが、小学生の頃は「笑える要素満載の文章=エッセイ」だと思っていた。

なぜならわたしのエッセイ本デビューが「もものかんづめ」だったからだ。


初めて読んだときの面白さは衝撃的で、小学校の休み時間の度に、当時仲良しだったさわちゃんと図書室に走り、二人で顔を寄せ合って笑いを堪えながら読んでいた。もはや中毒。その可笑しみを共有できない友人からは「何がそんなに面白いの?」と若干白い目で見られたことを思い出す。

じわじわとこみ上げる笑い。

どこに爆笑のスイッチが隠されているかわからないので、変にヒヤヒヤしながらページをめくる。図書室という静かさを求められる場所で、笑いを求めているという矛盾が子どもながらに可笑しさを助長させていたのかもしれない。

漫画の「ちびまる子ちゃん」ももちろん好きだったが、それよりも文章から染み出すあの笑いは特別感があった。言葉だけであんなに笑わせるなんて、天才だな、と子供心に感動すらしていた。

想像を膨らませつつ、途中吹き出しそうになりながら、文字を追っていくあの興奮した時間は、読んだことのある人ならわかると思うが、どうだろう??(わたしだけ?)

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ちびまる子ちゃんの中では、まる子の心の友として描かれる優しいおじいちゃんの友蔵は、実際はちっともそうではないとか(エッセイ本では”じーさん”と表記)

ちょっとした種明かしなんかも、作者と自分だけが知ってる秘密を共有しているようで、面白かったのかもしれない。

「さくらももこ=おもしろエッセイスト」の方程式は、世を去った今でも確固たる地位を築いているが(もっともっと読みたかった泣)なぜ面白いのか?はずっと不明だった。

だけど、この本でその理由が明らかに。

本の内容については、こちらで↓


さくらももこの文章は、「古畑任三郎」方式なんだということ。

笑いをこらえて何度も読んで、この答えを導き出してくれた三宅夏帆さんには心から拍手を送りたい。

人気刑事ドラマの「古畑任三郎シリーズ」には、ある大きな特徴が一つありました。えー、ヒントは構成にあります。わかりますかね。そう、それは「冒頭で犯人が明かされること」。視聴者は、最初から犯人が誰かを知っている。その上で主人公である古畑任三郎が、犯人のアリバイ工作を看破するまでを見守るわけですね。なにが楽しいのかといえば、誰が犯人かを推理することではなく、犯人が追い詰められていく過程を追うのが楽しい。これって、さくらももこの文章も同じ構成なんです。

長年の謎が解けました。な、なるほど…。

正解を先にいってしまうから「いやいや違うでしょ!」とツッコミを入れつつ、書き手であるさくらももことの「一体感」を感じながら読める。だからこんなにも面白かったのか!

自分に起こったエピソードだけど、若干引き気味で描く、自分を客観視して書くからこそ、日常をこんなにもある意味ドラマティックに描けるのかもしれない。

そういえば、小学校への登校中に右足がドブに落ちたとき(下水の上に置いてある金属の薄い板みたいなのに乗ったら、それが不安定だったため穴に落ちた)爆笑する友人を見ながら、これをさくらももこのエッセイ風に書いたらどうなるんだろうと、頭の隅で想像しつつも、普段なかなか出会うことのない強烈な臭いを放つ右足と共に、こんな顔になったことは、今でも思い出せるわたしのまる子級のエピソードです。

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