自分にやさしく頑張るには、過去の背負い方を変えてみる

頑張るってなんだろう。
努力するって、なんだかしんどいイメージ。

努力するは英語でmake an effortっていうけれど、「骨を折る」っていうネガティブな意味合いもあるよね。

いつもいつも頑張っていられない。自分を追いこめない。

そう思ってたのだけど、「自分にやさしく頑張る」ってフレーズを耳にした。

やさしく頑張るって、甘えではないの?
逃げるわけではないの?

ここでは、対話を通して気づいた①過去のトラウマの捉え方 ②頑張る=しんどいこと?の2つの観点から、頑張ることについて考えてみました。

①過去のトラウマの捉え方

誰しも1つや2つ抱えている、トラウマと呼ばれる過去の失敗談、辛い記憶。

わたしの場合は「そろばんの試験に5回連続落ちたこと」がそれにあたる。

小学5年生の時に受けた珠算2級の試験に、1度ならず5度も落ちた。

練習しているのに出ない結果。
落ちたときにかけられる同情の言葉と、哀れみを含んだ声色。
再度挑戦するか決めてないのに「次は大丈夫だよ」の励まし。

それらが辛かった。

それでも不合格のままで終わるのは嫌だったから、次こそ、次こそって回数を重ねた。

だから6回目に受かった瞬間は、達成感よりも、安心感のほうが大きかった。やっと解放されるって。

失敗するのが怖くなった要因として、わたしの無意識下に刻まれていたことに最近気づいて、そのことをある人に話した。

そしたら、思いがけない反応が返ってきた。

「ちひろさん、それってすごい成功体験じゃないですか!!」

え?これが成功体験???

「だって、5回も挑戦したんですよね。2回目や3回目で嫌になる人もいるのに、5回なんてすごいですよ!しかもちゃんと合格した。これって、決めたことは絶対に諦めない心の強さと、粘り強さの証明みたいな出来事じゃないですか!」

自分にとっての失敗談が、他人の目から見ると成功談に変化したことに、ただただ驚きだった。

過去の荷物の背負い方は変えてもいい

わたしは「5回も連続で落ちた」という事実にフォーカスしすぎていたようだ。見方を変えれば確かに「5回も挑戦した」ってことになる。

勝手に悲劇のヒロインになって、トラウマを作り上げて、何かを始める際の逃げ道にしてただけ。

未知の領域へ踏み出すときの怖さを正当化するために、言い訳にしてただけ。

「自分にやさしく」と、「自分に甘く」を履き違えて、間違えた方程式を作り上げてしまってたみたい。

過去の事実は変えられない。
でも解釈は変えられる。

いつからでも、今からでも、過去の背負い方は変えていいんだ。そう思えた瞬間だった。

もう半分食べちゃった?まだ半分残ってる?
どっちも同じことだけど、感じ方は反対だ。


②頑張る=しんどい?

そんな風に過去を遡っていくと、思い浮かんだのが入試に関する出来事だった。

行きたいなと思っていた進学先に、たまたま推薦の枠があった。授業態度は花丸の優等生だったので、高校も大学も推薦を受けることができた。

だけど周りから決まって言われたのが、このセリフ。

「もう少し頑張ればもっと上に行けるよ」

この言葉を聞くたびに、自分の気持ちが揺らいだの覚えている。

「もう少し頑張れば」ってことは、わたしの頑張りは足りないのかなって。

高校も大学も、結局は自分の意思を優先した。
特に大学は「絶対にここでスペイン語を勉強したい」と思って選んだから、今でももう1回戻りたいって思うほど、めちゃくちゃ楽しい時間だった。

満足しているはずなのに、時折思いだす「もう少し頑張れば」のノイズ。それが頭の中で響くのは、しんどそうに頑張っている人をみたとき。

辛くても乗り切った経験談を聞くと、賞賛の気持ちと共に別の感情が湧いてきて、気持ちをざわつかせる。

わたしもあんな風に頑張らないといけない。

頑張るって苦労すること。

「頑張ること」は努力することで、「楽しむ」ことは娯楽なのかも。

高校も大学も推薦入試を選んだ私は、挑戦から逃げたんじゃない?

そんな風に頭の中で、自分を責めることが多かった。

エフォートレスな頑張り方

そんなある日、目に入った新聞の本の紹介欄。

エフォートレス=eforrtlessとは、直訳すると「努力しない」こと。

effort自体の意味が「苦労、骨折り」といったネガティブな意味を含むから、英語の授業で習ったmake an effort =努力するは、実現しない可能性も示唆してしまう。そのため、ビジネスシーンではstrive toをよく使うみたい。

誰しも「しんどそう」って思いながら取り組むよりも、「すっごく楽しそう」と思ってやる方が、何十倍もポジティブだし結果だってついてくる、はず…。と思って過去の記憶を辿る。

思い返してみると、大学在学中にスペイン語のスピーチコンテストに4年連続で出場して、4年生の時に優勝賞品のスペイン往復航空券をゲットしたことがあった。

伝えたいことを考えて、それをスペイン語で書いて、覚えて、みんなの前でパフォーマンスする。想いが伝わるように強弱を意識したり、間の取り方を考えたり。

「すごい頑張ってるね」とか言われたけど、誰かに頼まれてやっていたわけではない。自分でやりたいと思って取り組んでたから、全然しんどくなかった。

自分の考えを再発見して、言葉にしていく過程は面白かったし、表現できることも楽しかった。スピーチしている間は伝えることに夢中だった。

念願のスペイン往復航空券を手にできたときは、ただただ嬉しくて、あーやりきったなぁーって達成感に包まれていた。

やりきってたじゃん、わたし。
結果出してたじゃん、わたし。
うまくできなくて悔しい思いをしても、次こそは!って自分で挑戦を決めてた。

もしかしてこれが、自分にやさしく頑張るってことなんじゃない??

楽しく夢中でやってきたことは、ストレスフリーで精神的にもしんどくなかったから、頑張ったこととして認識してなかっただけ。

楽しかった思い出の一つとしてカウントしてただけ。

過去を記憶や経験を失敗談にするか、武勇伝にするか。
負の遺産にするか、逆境を乗り越えた証明とするか。
それは全部、自分の心持ち次第ってことなんだ。

重い荷物は上に詰める

今の自分を作っているのは、紛れもなく過去の自分だ。でもそれを固定する必要なんてないんだ。過去は強固なピラミッドの最下層じゃない。

過去って固定しなくていい。いつだって整理して取捨選択できる、リュックの中身をイメージする。

登山の時のセオリーのひとつに、重い荷物は下ではなく上の方に詰めるというのがある。

その方が背負っていても軽く感じるから。

しんどかった記憶や幼少期の出来事は、荷物の最下層に詰め込んでしまいがち。でも思い切って、取り出してみて、眺めてみる。ほんとにこれは辛い記憶なのって、問いかけてみる。

そして下の方ではなく、取り出しやすいように、上に入れてみる。そしたら意外と重い出来事ではなくなるかもしれない。

どんな風に過去を詰めるかは自分次第だから、詰め方次第で過去の重さは変えられる。

軽やかな自分になって、スイスイと足を前に出して、目指す山を登りたい。いや、きっと登れる。そんな自分になれる。

自分にやさしく頑張る。

2022年は、これがテーマになりそうだ。

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