何が好きとか嫌いとか。
何が好きで何が嫌いかなんて
そんなのほんとに人それぞれ。
目玉焼きの黄身は半熟がいいのか
かたまってる方がいいのか。
歯の存在を無視したかのようなフワフワの柔らかいパンがいいのか
アゴで噛みちぎる力が必要なハード系のパンがいいのか
モチモチとした柔らかめのご飯がいいのか
あっさりとした粒だちのご飯がいいのか
食べ物ひとつとっても、好みはそれぞれ。
それは言葉でも同じ。
心に届く言葉って
その時の自分のメンタル、周りの環境、年齢によって全然違う。
この先どんな人生を望んでるか、といった
自分のステージや立ち位置によって、素通りする言葉もあれば、手帳に思わずメモしてしまうものまで様々。
受け入れる言葉が人によって違うように、発する言葉も変わってくる。
自分の気持ちを言語化するのはもちろんのこと、誰かの気持ちを汲み取ったり、言い換えたりするのは、さらに難しい。
誰の言葉なのか、誰に届けたいのか。
底なし沼に片足を突っ込んだかのように、ズブズブと抜け出せなくなりそうと思いながらも
どこかでそれを冷静に見ている自分も確かにいる。
ほんの数ヶ月前までは、そんなことで悩んでいる自分を想像すらできなかったのだから。
だから、きっとこれは、贅沢な悩み。
ほんと少しずつでも歩いてきたから、ぶつかった石ころ。
やると決めたのは自分。
あれもこれもと、同時進行でやりだしたのは自分。
だって、手を出したかったんだもの。
その時の私が、望んだんだもの。
不安はある。
それはきっと正解がわからないから。
着地点が見えないからしんどい。
でも答えなんて誰も教えてくれない。
自分で決めるしかないのだから。
お腹が冷えるからといって、ついついインナーの裾をズボンに入れてしまう。
たった一枚の布キレなのに、包んでくれる薄っぺらな安心感にすがりつくように、自分で自分を見つめて、進んでいくしかない。
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