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13年前の暮しの手帖の新鮮さ


夫の実家で2008年冬の暮しの手帖を見つけた。

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今から13年前。ちょうど大学4年の頃かしら。
就職先も決まって最後の自由な時間を満喫していたあの頃。
あの頃のわたしが思い描いた未来に、現在のわたしは立っているのかな。

想像していた場所にはいないけど、今の暮らしは気に入っている。想定外の未来だけど、それが生きるってことだよね、きっと。

それでも、もし、もう一度戻れるなら、大学生だったあの頃に戻りたい。好奇心のアンテナの赴くままに過ごしていた日々。
そんな気持ちにさせたのは、この文章。

新しい街の散歩も面白いけれど、時間の層を感じ取れるような散歩ができたときは、すごく面白いね。地理的に移動するのと同時に、時間の層もまたいでしまったな、と思えるような散歩ができたら、そのときは格別。
東京上野近くの谷根千と呼ばれるあたりは、そんな散歩ができるおすすめのエリアだ。渋谷からたった一駅目の神泉でトンネルをくぐると、突然郊外の風景が開ける京王井の頭線も気に入っている。

zucca 小野塚あきらさんが、散歩について語ったページ。

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谷根千はわたしにとってのキラーワードの一つだ。

大学2年生の時だったか、新しい教授が入ってきた。大学の教授のイメージって、頭はボサボサで、大きめのメガネかけてて、猫背なのに早足て、いつもくたびれたネルシャツ着てて‥みたいな感じだ。(リアル過ぎてすみません、わたしが所属してたラテンアメリカ文化ゼミの先生はこんな感じでした。でもすっごく研究熱心で尊敬できる大好きな先生です)

だけど、新しく入ってきたO教授は、多分今のわたしと同じくらいの女性だった。腰にかかるくらいの長い黒髪、涼しげな目元に縁無しのメガネが似合ってて、ピタッとしたワンピースが似合う、知的な美女ってきっとこういう人だよねっていうのを描いたような人だった。

そんなO教授の専門は社会学。院生だった時のフィールドワークの場所が「谷根千」で、講義で何度もそのワードを聞いていたので、谷根千=O教授という方程式が出来上がってしまった。

谷根千は東京のある一部分、谷中、根津、千駄木をまとめて指す言葉だけど、その特異性は異文化ともつながるということで、異文化コミュニケーションの講義もしていた。異文化とは何かを、いろんな角度から考えるその講義はめちゃくちゃ面白くて、毎週その時間を心待ちにしていた。追っかけのようにO教授の他の講義を受けたり、ゼミ生じゃなくてもゼミに参加していいよと言われたので、同じく面白いもの好きの友人と一緒になって受講していた。

そのゼミの一環で確か、日暮里にあるイラン料理レストランに行った覚えがある。

何をしたかは詳しく思い出せないけれど、地べたに絨毯がひかれ、なぜか民族衣装を着せられて、食べきれないほどの料理が運ばれてきたあのレストランはものすごい異文化だったな。

地理的に移動するのと同時に、時間の層もまたいでしまったな、と思えるような散歩ができたら、そのときは格別。

今は、地理的に移動をすることが難しくなっている。
だけど、暮しの手帖のこの一文だけで、時間の層をまたぐ散歩ができた。
そう過去の私に出会う小旅行。

その一言で、飛べる嬉しさ。

13年前の暮しの手帖は、今でも全く色褪せてなくて、今だからこそ響く言葉もいっぱいある。

「メモを継続するコツは『記憶はできない』と割り切ることです」というフレーズは、記憶したいくらい胸を打った。

思わずメモしたこの言葉。忘れちゃうのが人間。
だから覚えておくために、思い出せるように、こうやって書き留めておく。
未来の自分が悩んだり、つまづいたりして下を向いた時に、拠り所になったらいいなって思うから。
忘れちゃうことで、また新たな気持ちでその言葉に向き合えるから。

だから今日も言葉を紡ぐ。
書いていく。

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