見出し画像

小学生時代の遊びを思い返す

こんにちは、毎日投稿67日目のすうじょうです。さて、今回は自分の経験や思いを語るエッセイです。内容は、タイトルで抽象的ではありますが表現されています。

--------------------------------------------------------------------------------------

以前、祖父に教わった遊びについて色々思いおこし書いたけれど、そこでは屋内での遊びしか話さなかった。

確かに、私はインドア派だ。だけれども、そんな私にも外で元気に遊んでいた時期があった。小学校のときのことだ。

小学校の頃は、どちらかというとインドア派だった気がするが、昼休みなどは友達と一緒に運動場に行き遊んでいた。その話をしようと思う。

最初に、言っておきますが私は田舎に住んでいたわけではなく、東京・大阪などの中心部と比べると田舎ですが、全国的には割と都会の場所に住んでいました。学校の特徴としては、運動場と体育館が広かったことですね。作られたときに児童数が多かったのでしょう。あと、創立100年を超える小学校でした。

まず、小学校低学年、定番は遊具で遊ぶか、おにごっこやかくれんぼ、ケイドロ(ドロケイ)といった遊びだろうか。しかし、当時の私はスケールのでかいおままごとのようなことをしていた。男女数人で集まって、少し植物や木が生えていて、大きな岩が一つあったスペースを主に使って家族ごっこのようなものをしていたと思う。といっても、かなり前のことなので、あまり覚えていないというのが正直なところ。実際は、家族という設定はあまり重要ではなく、毎日その日気ままに思いついたことをしていたと思う。虫で遊んでいた男の子もいた記憶がある。今では、(当時もだと思うけど)虫は好きではないので、勘弁だ。

あと、いつのことかはっきり覚えていないけれど、たまに学校に咲いていたピンクか紫色の花の蜜を口で吸っていたことも思い出した。これを小さい頃にしていたという人は一定数いることでしょう。

次に、小学校中学年と言いたいところだけど、そのころの記憶は欠落している。別にトラウマがあったとかではありませんが、印象には残っていません。屋内ずっといた覚えもないので、それこそ遊具で遊んだり、おにごっこなどをしていたのでしょうかと推測しています。

ただ、考えると、屋内にいた記憶もありました。屋内で、友達と計算ドリルを何問解いて、何周したかを先生に見せてもらったシールの数を競っていた気がします。あと、それの暗記版で、国語の教科書の詩や有名な詩を暗記して先生の前でそらで言えたらもらえるシールの数を競うということを高学年までしていた気がします。今考えると、陰キャの遊びだ。まあ、おかげさまで計算力や暗記力を鍛えられた気がします。

ちなみに、覚えたものは谷川俊太郎「生きる」や徒然草・竹取物語の冒頭、寿限無など色々あった記憶です。他の詩は忘れてしまっていますが、寿限無は今もフルで暗唱できますね。

じゅげむ じゅげむ ごこうのすりきれ かいじゃりすいぎょの すいぎょうまつ うんらいまつ ふうらいまつ くうねるところに すむところ やぶらこうじの ぶらこうじ パイポパイポ パイポのシューリンガン シューリンガンのグーリンダイ グーリンダイの ポンポコピーの ポンポコナーの ちょうきゅうめいの ちょうすけ

↑これはコピペですが、本当に暗唱できます。

最後に、小学校高学年。このころは友達が増え、もっと積極的に遊んでいた。数人から10数人の男女混合グループでドッジボールや他のボール遊び(出身地がバレかねないので、名前は伏せます)などをしていました。雨の日などは校内をうろついたり、さきほどの計算・暗唱という陰キャの遊びをしていました。

今、少し悲しい記憶を思い出しました。その遊べる最後の日、つまり6年生の卒業式間近の日、ボール遊びをしようと思ったのですが、気分が悪くなり断念。結局、トイレで吐いて保健室に行きました。そして、その後の卒業式の練習にも参加できませんでした。せっかく、最後だと意気込んで楽しみにしていたのに、遊べなくて悔やんだのが懐かしいです。緊張していたのでしょうか。私は緊張すると吐きそうになるタイプの人ではないはずなので、たぶん違います。

結局、体育の授業以外で本気で遊んだのは小学校きりとなりました。中学では基本的に屋内で過ごし、高校では慣習か外で遊ぶような人はいません(勉強していた人もいましたが、基本は他のクラスに行くか、クラス内においてかのどちらかで話すのが多かったです)でしたので、当然私も遊んでいません。大学では当然遊んでいません。

今は当時のような元気さはなく、遊べばすぐに息があがることは目に見えているような状態です。かといって、今一人で問題を解いたり、暗記をするのは本当の意味で陰キャの遊びになってしまうし、時間がもったいなく思えてくる。あったとしても、このnoteのネタにするためくらいにしかやる気はない。

あの頃の元気さややる気だけは思い出して、やっていきたい。

--------------------------------------------------------------------------------------

以上、私の記憶と思いを伝えるエッセイでした。では。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?