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子どもの頃の夏休み

こんにちは、すうじょうです。さて、今回は8月31日ということで昔の自分の夏休みについて思い返すエッセイを書きたいと思います。今年は、自粛の影響で多くの学校で夏休みが短縮されていますが・・・それは考えないことにして、私の過去を思い返していきたいと思います。

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私の子供のころの夏休みは今の殺伐とした状況よりも平和で長いときだと1か月くらいあったような気がします。

小学生のころ

はじめは、小学生のころを思い返してみます。と、いってももうほとんど思い出を忘れてしまっていますが、一番夏休みらしくぼんやりと過ごしていたあの頃を懐かしみながら振り返っていきます。

小学生の夏休みと言えば、中・高校生の夏休みと違って自由が多かった印象です。特に予定も立てず、比較的インドアな子どもだったので、家にこもってテレビで特番やバラエティを見ている日々だったと思います。また、高学年になってからはゲーム機でゲームをしていたような気がします。そして、夏休みのほとんどは祖父母の家(当時は、もちろんおじいちゃんおばあちゃんですが・・・)に泊まりに行き、そこで過ごしていた覚えがあります。

甘やかしてくれる祖父からお小遣いをもらい、それをショッピングモールのゲームセンターで溶かしていた日々でした。年齢がバレるので、ゲームの名前までは言いませんがそれなりに人気だったゲームをしていました。今思うと、そのお金のほとんどを貯金していれば、もっと参考書を買えただろうにとか考えてしまいますが、当時は小学生なのでそれで正解でしょう。お金で楽しみ(とカード)を買っているとでも言うのでしょうか。そんな感じで正当化できるはずです。また、たまに近所の動物園や博物館、レジャー施設などに車で連れて行ってもらってました。

他には、自宅でですが、うまく説明できませんが、屋内で遊べる円形のプール(水をためるものです)で遊んでいました。しかし、一回もプールには遊びに行きませんでした。あとは、夜に、家のベランダでスーパーで売っているような花火セットで遊んで、美しい火を見て楽しんでいました。

そして、夏休み終盤に迫ると、「夏休みの宿題」という嫌なものと戦わなければならなくなります。私は嫌なことを後に回すタイプなので、学生時代は高校2年生くらいになるまで終盤は宿題の期限との戦いでした。自由研究はテキトーにやってしまって、ドリルなどは比較的きちんと進めていることがほとんどなので、丸付けをして終わらせます。読書感想文は、残り数日になってようやく手を付け始めます。おかげで、できたものはあらすじ紹介がほとんどを占めるような、人に感想文として読ませられるようなものではなかったと思います。

それでも、今まで夏休みの宿題が間に合わなくて、先生に怒られたことはありません。学校では優等生的に振舞っていましたから。ただし、夏休み最終日に夜中まで起きて宿題をした経験は数回あります。さすがに、寝ずにオールして(徹夜して)始業式に臨んだことは今まで一回もありません。

中学生のころ

次に、中学生のころを思い返してみますが、これもほとんど思い出を忘れてしまっています。しかも、特に夏休みらしく過ごしていた思い出がないので、短いです。

中学生の夏休みは、小学生のころよりも短かった印象です。あいかわらず、予定を立てず、家にこもってテレビとゲーム、パソコンの日々だったと思います。パソコンでは、最近はあまり見ませんが、好きなゲーム実況者のゲーム実況シリーズ再生リストを全部見ることを何回かしていた気がします。そして、夏休みは小学校のころと同じく祖父母の家に泊まりに行き、そこで過ごしていました。

まだまだ甘やかしてくれる祖父からお小遣いをもらい、それをショッピングモールのゲームセンターで溶かしていたり、ゲームソフトを買っていた日々でした。ゲームソフトは買いたいものを決めて、それに向けてお小遣いをためていました。このころから貯金ということを覚え、高いソフトが発売されて買いたくなっても、すぐ買えるように一定額貯金するようになりました。今思うと、なかなか子どもという立場を謳歌しているように思いますが、あのころに戻りたいという気持ちもなくはないですね。このころから少しずつお金でゲームセンターなどではなく、ゲームソフトのような形が残るものの方がいいというような価値観が徐々に形成されていったような気がします。中学生の時も、たまに近所の動物園や博物館、レジャー施設などに祖父母に車で連れて行ってもらってました。

他には、自宅で、小学生のころ同様に夜に家のベランダでスーパーで売っているような花火セットで遊んで、美しい火を見て楽しんでいました。しかし、自分から外に出ることはなく、インドア派なのが明らかな行動をしています。

そして、夏休み終盤に迫ると、ここでも「夏休みの宿題」という嫌なものと対峙しなければならなくなります。ここでも、ドリルやプリントなどは比較的きちんと進めているので、丸付けをして終わらせます。まったく、教訓が生きていませんが、このときも作文など面倒な宿題は、残り数日になってようやく手を付け始めます。

しかし、そのように宿題に取り組んでいても、終盤の努力?のおかげか提出日までに無事に終わります。実を言うと、始業式のときには終わっていない宿題もあるのですが、それも提出日までにはなんとか終わらせていました。なので、当然先生に怒られはしません。しかし、そのようなつらい経験があっても毎年宿題は後回しをします。嫌なものはあとでまとめて間に合わせるという精神で取り組んでいるのが明らかですね。

高校生や大学生のころもそれなりに夏休みを過ごしていましたが、字数が多くなるのと、同じような説明の繰り返しになるので今回は触れません。

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以上、私の心に残っている記憶の紹介でした。では。

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