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概念系

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概念系単発記事をこちらに格納。きちんとした定義は語らず日常感覚的です。なので厳密さはありません。そんなものがあるんだな、レベルのものです。
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#数学教育

準同型

集合A、Bに演算がそれぞれ付帯されているとしよう。AとBが「同型である」といえばこの2つのものが全く同じタイプであるから、考えている構造の上では同じである。準同型とは、それよりは若干劣るが、考えている構造の上で次の意味で類似している。 0以上の整数nを固定する。集合Aにn項演算μが付与されていて、集合Bにはn項演算νが付与されているとしよう。 AからBへの写像fがμとνに関して準同型であるとは、写像fがそれぞれでの演算とが次の意味で両立していることです。すなわち、Aの元た

九九

皆さんは、好きな数字はなんでしょうか。 一等賞の「1」、ラッキーセブンの「7」、「ゼロからスタート」の「0」、誕生月の「4」、などなど好みも様々と思います。 さて、九九(くく)は1桁×1桁の答えを語呂合わせで詠ったものですが、我々は10進法を使うので数字は0を含めなければ9種類の数字のペアで構成されています。もし昔のヨーロッパのように12進法が主流だったなら、九九に相当するものは11種類の数字のペアで構成されたものを覚えていたかもしれない。それはそれで沢山覚えられて便利で

畳み込み

四則演算は小学生から習うが、それと同じくらい身近な演算に「畳み込み」と呼ばれる演算もある。畳み込みについて、具体的な例で定義しよう。 まず数列(a(0),a(1),a(2),・・・)を一つ用意し、これを係数にした次のような変数xの形式的べき級数f(x)を作ろう: f(x) = a(0) + a(1)x + a(2)x^2 + ・・・ 無限和になっているがここでは収束性は考えない。単に「形式的に」作っているだけでそのような対象を今考えている。そして、ここには加法(+)と乗

演算

1と2を足して3になるというのは、1と2から3を対応させている。1から2を引いてー1になるというのは、1と2からー1を対応させている。 足し算、引き算、掛け算、割り算など我々がよく知っている四則演算というのは、2つの数から数へ対応させる写像であって、写像の対応規則は、それぞれの四則演算において我々がよく知っている計算の方法そのものであります。 これらは2つの数をインプットにした写像であるので特に2項演算と呼ばれる。インプットが2つでなくても一般にn個(n≧0)の数から数を

無限

1,2,3,・・・と数えていった先に何があるのかといえば、終わりそのものがない。どこまでも行っても自然数はその次の自然数があるためです。そこで、このことを限りが無いことから通常、「無限」と呼んでいます。 ところで次のような無限もある。 0と1の間(ただし0と1は含まない)にはどれだけの実数があるのかを考えよう。0から1の間にはこの半分の点1/2があるし、今度はまた0と1/2の間に半分の点1/4がある。それでこれをどんどん続けていけば1/2,1/4,1/8,という実数が得ら

全射

集合Aから集合Bへの写像fが全射であるとは、Aの元を写像fで写したBの元全体がちょうど集合Bと一致するときにいう。 これは、Bの任意の元は、Aのある元をfで写したものである、と述べても同じである。 よく、Bの元bについてfで落ちてくるということを、「fで元bに写るものAの元全体」という意味で表現することがある。この言い回しを使えば、fが全射であるとは、Bのどんな元もAに少なくとも1つは落ちてくるような写像fである、となる。 イメージがわかりやすいので、誤解の恐れがない文

単射(1対1の対応)

とある武将が「あの林の木の本数をすべて数えて参れ」と言った。家来たちが頑張って1本、2本、・・・と数えていったが、途中で数え間違えるので何回もやり直しになってしまう。何かよい方法はないだろうか。 さて、パズルでも数学でも1対1対応という考え方はとても有効です。定義を述べよう。集合Aから集合Bへの写像fが1対1である、または単射(たんしゃ)であるとは、相異なるAの2つの要素x、yに対して、これらをfで写したBの2つの元f(x)、f(y)が相異なるときにいう。 要は、1対1対

作用

「あの招き猫を置いたら店が繁盛する」とか、「あの人と一緒にいるとなんだか心がキューってなる」とか、何かの対象aが別の物事に変化を引き起こすという状況は日常でもよくある話です。「招き猫が売り上げに作用する」、「あの人が私の心に作用する」など、「作用」という概念が生まれます。これは数学でもよく使う言葉です。 ある対象aが別の対象bに作用して対象cになったとしよう。aはbからcに変化させた訳です。 今度は、同じ対象aでも、また別の対象b’に作用して対象c’になったとしよう。aが

積分

積分は函数fから新しい函数Fを得る手続きで、その手続きはいささか怪しく感じるかもしれないが、「分かった積り」にはなれるという。その手続きをリーマン(Riemann)の方法で述べよう。 実数の部分集合から実数への函数fがあるとしよう。簡単のためfは区間I上で定義されているとしよう。区間とは任意のIの2点について、その間にあるような点もIの点になるような実数の部分集合をいう。 さて、このときfのI上の定積分の定義を行おう。 (1)函数fの定義域Iをいくつか有限個の小区間に分

収束

新型コロナウィルス感染症の「しゅうそく」という字は「終息」と「収束」のどちらが正しいのだろう。 辞書的には「終息」は事態が終わりに向かう(to end)で、「収束」はどこかにある一定のところに収まる(convege)という点でちょっと違うようです。終息は収束の特別な場合をいう。 コロナに打ち勝つ意味なら「終息」が本来で、コロナと共存する意味なら「収束」でもいいと思います。 いずれにしても、収束させるために様々な感染症の拡散を防止するための対策を講じてきている今日な訳です

上限値、下限値

日常で上限や下限という言葉はよく使います。電卓で「9」ばかりたたいた数に、また「9」ばかりたたいた数を掛け算して遊んでいたら、エラーの表示が出て、電卓に怒られる。それで表示できる桁数にも限界がある。限界を超える直前のぎりぎり最後の値が、いわゆる上限と言われます。 このぎりぎりの値である上限、下限を述べよう。 まず、簡単のため値というのは実数の値として考えよう。 今、実数の部分集合Aを固定する。Aの任意の元xについてx≦Mとなるような実数Mの全体をAの上界(じょうかい)と

微分

微分も積分も高校生になって習います。 何だか怪しい手続きを経て、函数から新しい函数が得られるのですが、その手続き自体は「微かに分かる」かあるいは、「分かった積り」にはなれます。文字通り、微分・積分ですね。 函数とはインプットに対して、1つのアウトプットが対応する働きをいう。英語ではfunction(機能)というが、日本語では普通は「関数」と習う。もともと英語でのfunctionを中国語で函数(ファンシュー)と音訳したものを日本に輸入した際、「函数」という字を使っていた。し

素因数分解、因数分解

素数とは自分自身または1の他に約数をもたない1より大きい整数をいう。 そして任意の正の整数をいくつかの素数の積に書き表す方法はただ1通りである。そこで、このようにして得られる表示を素因数分解という。 (1を素数に含めると、1は何回かけても変わらないからただ通りという”一意性”が成り立たなくなるので、1倍は無視したいため1より大きい整数にしている。) 整数を多項式にした場合の話でいうと、整数の1は多項式の1(といっても定数そのものです)に、素数は既約な多項式に、素因数分解

最大公約数、最小公倍数

数学の概念は当然数学の世界寄りであるから、日常的なものに喩えるのは難しい場合がある。 しかし遊びで、例えば最大公約数や最小公倍数というものを語るに、日常生活の中での例を考えてみよう。 すべてが0ではないいくつかの整数が与えられたとき、各整数の共通の正の約数のうち、最大の正整数がただ一つ存在する。 この整数を「最大公約数」という。 さてこれを日常の中の例でいうと、 何人かのうち少なくとも一人は何かしらの意見を持っている人がいるとする。それぞれの意見が割り切れる妥協案の中