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作用


「あの招き猫を置いたら店が繁盛する」とか、「あの人と一緒にいるとなんだか心がキューってなる」とか、何かの対象aが別の物事に変化を引き起こすという状況は日常でもよくある話です。「招き猫が売り上げに作用する」、「あの人が私の心に作用する」など、「作用」という概念が生まれます。これは数学でもよく使う言葉です。

ある対象aが別の対象bに作用して対象cになったとしよう。aはbからcに変化させた訳です。

今度は、同じ対象aでも、また別の対象b’に作用して対象c’になったとしよう。aがb’からc’に変化させた訳です。

このような状況をまとめると、対象aを固定したとき、aがある集合Xに作用するというのは、aが集合X上の変換として機能することを言っている。つまりaはXからXへの写像であると考えられる。

集合XからXへの写像を特にX上の変換とよび、X上の変換全体をTと置こう。そうすればaのXへの作用というのは、aに対してTの元を対応させることである。

作用する対象aがいくつかある場合は、それらの集合をAとし、集合Aの各元aが集合Xに作用しているとき、集合AがXに作用するという。

その場合、集合Aの元からX上の変換に対応させる写像A→Tが決まる。こうして「作用」が定式化された。

次に、「招き猫を大きいものに差し替えたら、店の売り上げもそれに伴って大きくなった」とか、「あの人が私に近いところにいるほど、私の心拍数があがる」とか、作用する対象が変化するにしたがって、それに連動して作用の受ける側も変化する状況があります。

これは、集合Aに何らかの数学的構造が付帯されている場合で、AがXへその数学的構造と両立するような作用であると考えられる。即ち、Aの構造とTの構造がうまく対応付いているような写像A→Tである。

「招き猫の大小と、店の売り上げの大小が紐づいている」とか、「あの人と私の距離の大小が、私の心拍数の大小と紐づいている」という具合です。

これを利用して、逆に考えることもできる。

「店の売り上げが上がったということは、招き猫の大きさが大きくなったからではないか?」とか、「私の心拍数が上がっているということは、もしかして私はあの人と近いところにいるのではないか。」というのは、いわゆる論理的には「逆」を考えているわけだが、逆を考えることで、作用するもと方を知る手がかりになる。

このように、逆も正しいというときは作用が忠実であるという。即ち、写像A→Tが1対1に対応している場合を意味する。このとき、AはXに忠実に作用するという訳です。

付帯された構造を保ち、かつ忠実な作用であれば、Aを知ることは、T(つまりX上の変換全体)を調べることに帰着する。

「招き猫の大小=店の売り上げ」、「あの人=私の心拍数」という具合で、何やら大胆な結論ですが忠実な作用であるなら、そうなりますね。

小説などを読んでいて、文学的表現で何か比喩されているときは、このような状況ではないでしょうか。実際は完璧に忠実であることは少ないですが、定式化してみると面白いですね。

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