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動きだした時間

これは自死した弟と私の体験です。
もし誰かの抱える何かに響くものがあれば
嬉しいです。

 弟は悩みや葛藤を抱えて
自死を選びました。
私たち家族や彼の友人たちは支えてあげられなかったことにそれぞれの時間が一部 
止まっていたんです。

 弟が亡くなる前日に 
母方の先祖のサポートをしてる夢を見たので彼なりのミッションがあったのだと
頭では分かっていました。 
実際、数年後、母方の祖母が亡くなった時も
穏やかに過ごせました。
(故人が穏やかではない時は残された者の心身に影響がでます。)

自死とは思えないほど 
多くの方が弟のために祈ってくれて
普通じゃなかったんです。
夢見をする父方祖母も魚料理をする夢を見て
「身近な誰かが亡くなる」と察知してたそうです。誰かが亡くなるサインの夢だそうです。魚料理がいつも見る夢より豪華で
一体誰なんだろう?と不思議だったそうです。魚ってのが意味深ですよね。

自死にもいろいろあるわけです。

8年経って
今年の2/22の明け方
弟の死後、初めてまともに夢の中で
弟と話せました。
今頃!?ですが
時が来たのですね。
弟は生まれる前に決めていたそうです。
みんなより早く死に大きな愛として
サポートに回ることでした。
肉体を持ってみるとそれがとても苦しかったそうです。

逆だったのです。
心を病んだから自死したのではなく
決めていたから心が重かったのです。
 
ハッと目が覚めて  
泣きそびれてた涙が痰みたいに吐き出され
私の身体は何かエネルギーに包まれてました。そのエネルギーを無意識に
娘に流しました。
「見守ってるけんね」と声がしました。

娘は特攻隊の前世の記憶があるので
飛行機墜落の映像は耐え難いそうです。
死ぬ時は痛みはなく
ただ青い空を見上げてたそうです。 

時代が変わりゆくなかで
こういう重さもどんどん解放されます。
生きること
死ぬことが
ここまで苦痛である必要はありません。
喜びがあるから生まれてきてるはずです。

苦しむ弟のために何もできなかった重さが
溶けていきました。
どうしようもない影に
怯える必要は無いのです。
ため息が冷ややかな影になってしまっても必ず解放の時が来ます。

私は背骨軽やかに生きて
喜びを表現したいと思います。

8年前の2/22 に弟は両親に最後に会いに来たそうです。
今朝の夢の中で
「2/22に旅立つなんて凄くない!?」と
言ってたんですよね。

8年経って結び直した気がします。

弟ははっきりと姿はみせませんが
千の風と歌われるように
何かふわりとした雲のようなものになって
愛する人たちみんなの元にいるようです。

弟が自分を見失う前の
ひょうきんな明るい性格だった頃の姿は
私の中で鮮明です。
たくさん語り明かしたけど
あの頃、2人で電気ストーブで焼いた
給食のパンの美味しさに驚いたことは
なぜか一番の思い出なんですよね。
(給食のパンは普通に食べるとあまり美味しくなかったのです)
一緒に夜食を食べるために 
欠席者のパンを勝ち取ってきてくれてたんです。
彼は夜食をティータイムと呼んでいました。
悲しみよりも
その明るい鮮明な思い出が
私と弟をしっかりと繋いでくれていたのです。

動きだした時間に便乗し
あらゆる過去を癒し
あらゆる未来を喜びで満たします。

痛みは涙で癒され
死を待つだけの時間が喜びになることを
祈ります。

ようやく弟と写ってる写真をみて
にっこり笑顔になれました。
着ぐるみは私です。σ(´∀`me)

 

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