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何歳になっても、ついやってしまうこと

おもしろそうなことがあると
足が止まってしまう。

興味があるものを見つけると
手をのばして触れてみたくなること。
強い興味を惹かれる何かがあると
ワクワクに飲み込まれて
何も見えなくなってしまうこと。
楽しすぎた後には
疲れ果ててしまうこと。
そして、そんな自分自身にうんざりしてしまうことがある。


それは物や天気や景色、
道端に生えている雑草だったり、
動物や人に対して湧きおこる。

触れてみると見ただけではわからない
質感や感触、自分との相性がわかる気がする。
生き物だと気持ちが通じ合える気がする。
反対に通じ合えないことを知ることもある。
相手に触れさせるということは
敵ではないことを示すことでもある。

いちばん難しいと感じるのは、人との相性を知ることだ。
ストレス耐性が低いのに好奇心が強い。
故に、楽しい反面しんどいことでもある。

わたしの「あの人に触れてみたい」はきっと
小さな子どもと同じなのだと思う。
興味を惹かれるモノを見つけたら
思わず触れてしまうような
ちょっとビビりながらも
触れずにはいられないような、そんな感じ。

よくよく考えたら、夫と付き合ったときも謎すぎる。
わたしはひょうきんで楽しそうな夫を眺め「好きかも」と思って
話したこともない人に告白をしたけれど、
恋愛的な好きだったのか自分でもよくわからない。
興味が湧いてただ触れてみたかったのかもしれない。
付き合ってすぐに「夫向きの人だな」と高校3年生で思ったあれは
直感だったんだろうか。
ただの偶然か。

正直、触れてみたいに性別はあまり関係ない。
興味が起こり、その結果を知るために触れたいのだ。
人間以外に対する「好き」は一種類なのに、人に対する「好き」は分類する必要がでてくる。
人間に対する「好き」の分類はいまだによくわからない。

それでもなんとなく「好き」を思いうかべてみると、最初は沸騰するように「好奇心」が沸き起こり、それが時間と共に落ち着いてきて「好き」が続いて行く人には「安心する」「楽しい」「自然体で居られる」が含まれるようになってくる。

子どもを産んだら「好き」はどこかへ
すーんと消えてしまった。
怖いもの知らずだったはずが
警戒心が強くなった。
譲れないものが出てきた。
今では夫は親友みたいな存在だ。


好奇心が強いからか、楽しみを見つけるのは簡単なことだったりする。
余白があれば、工夫できる隙間があれば
与えてもらわなくても楽しむことができる。
けれど、その余白がない時は反対にとても苦しくなってしまう時でもある。

今、意識的に気をつけたいと思っていることは、衝動的なワクワクに飲まれないようにすること。
衝動的なワクワクは筋肉だけに頼って力任せに動いている状態と言えるかもしれない。
楽しんでる感じはするけれど、身体全体を使った自然な動きではないから、全力で使った一部分の消耗が激しく、回復に時間がかかる。
落差のある大きな波よりも、さざなみをもっと大切にしていきたいなと思う。


今日もあなたが安らぎと幸福感を感じられますように♪


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