見出し画像

今日の山田君 〜思うこと〜 42

三蔵法師と仏教

三蔵法師の話を聞いてから、仏教が以前よりも身近な存在に感じるようになった。
そんなひょんなことから般若心経に興味を持ち始めて、ティク・ナット・ハンの般若心経という本の購入を決めた。
(届くのが待ち遠しい♪)


宗教活動

お腹が満たされてまどろんでいた昼下がりのことだ。
家のチャイムがなった。
ドアを開けると2人の女性が立っていて、「ぜひ読んでみてください」そう言って宗教の考えなどが書かれた紙を渡された。

1人の方はわたしの反応を見ながら話されていて、もう1人の方はものすごく熱い眼差しでわたしに訴えかけていた。

その熱い眼差しの方が
「これからどんどん大変なことが起こってくるのですが、〇〇○が私たちを救ってくださるのです。」
そんなことを言っていた。

興味がなかったせいか内容は響かなかったのだけれど、その真剣な眼差しはとても印象に残った。
「熱意を込めて真剣に話す」ということは、相手の行動までは変えられなかったとしても記憶として残り、もしかしたら奇跡が起こることもあるのかもしれないなと思ったりした。
その人から見れば自然に熱がこもってしまう事柄なんだろうけど。


物事よりも特徴的な性質がある個人に興味をもったりするため、今回なら宗教よりも「あんな眼差しをするほどあの女性がハマるきっかけになったのは何だったのだろう?」ということの方が気になった。

実際あの場で質問してしまったら、逃げ場を失うし勧誘もされて自分の首を絞める形になるため、さすがにぐっとこらえたのだけれど。

もらった紙をさらっと読んでみた。
そこには心地よくなりがちな言葉も多少は書かれていたけれど、8割方 不安を煽る内容だった。

あの女性はとても力強い目をしていた。
きっとあの人にとっては相性のいい宗教なのだろう。


嫁ぎ先の宗教

嫁ぎ先の家族はある宗教に入信していて、義祖母(とてもかわいがってくれた)が亡くなったときに、義父から「すぐにとは言わないけれど、入信してくれたら◯◯(義祖母:熱心な信者)も喜ぶと思うから。」そんなふうに言われて、義祖母を思う気持ちが一気に冷めたことを思い出した。


義祖母からは一度も勧誘されたことはない。
それを本人が喜ぶはずだという理由で葬儀の日に伝えられた。
そのことで義祖母と築いてきた関係性をへし折られた気がして、なんだかがっかりしてしまったんだと思う。


夫やその兄弟も子どもの頃に入信したが、活動には全く参加していない。

義父も熱心な信者ではない。
けれど義祖母を大切に思っている気持ちは伝わってくる。
毎朝6時になると仏壇の鐘の音が聞こえてくる。
義父にはお経を唱えることで義祖母の存在が感じられる大切な時間なんだと思う。

嫁いで初めて仏壇を目にしたとき、とても驚いたことを思い出す。
仏壇の扉が自動で開くようになっていて、その傍らには「あれ?ここはお寺だったかしら?」と思うほど立派な鐘が置いてあった。

(そういえばチーンとするアレの正式名称はなんだろう?と思って調べてみました)

天台宗や浄土真宗では鏧(きん)、浄土宗では小鏧(しょうきん)、日蓮宗などでは鈴(りん)、他にも鐘(かね)と呼んだりもします。

(意外と曖昧なのね…)


義父のこともわりと好きだし、わたし自身だいたいのことは譲れると思っていた。
しかしその出来事を改めて俯瞰してみると、自分自身の根幹に関わる部分は決して譲ることはできない性質なのだと、自分の頑なさを知る日となった。


自分で納得した答えを見つけたい。
もし見つからなくても、それをどうするかは自分で決めたいという思いが強いのかもしれないな…そんなことを思った昼下がりだった。


アウトドア般若心経

写真は、みうらじゅんさんの「アウトドア般若心経」だそうです。
完成までに4年って…すごすぎです。
世の中すごい人だらけだわ。



この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?