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DXプランナーの呼吸法 : ”限界費用ゼロ社会” by ジェレミーリフキン


背景

実は・・・私、年末頃から無性に焦燥感に囚われていました。
デジタル革命の表層的なことしか理解できていない自分がいること。
デジタルやマーケティングという視点・視野・視座では事足らないであろうことを。

ラニーニャ/エルニーニョを知らずして気候を語るなかれ。
プレート・テクトニクスを知らずして地質を語るなかれ。
産業革命を知らずして近代資本経済を語るなかれ。
例えるならば、そんな感じですw

一度立ち止まり、デジタル革命を経済パラダイムの大転換という高い視座で捉えてみようと経済書籍を読み漁ってみました。経済学の世界も大激震が起きているようで、野心的な論説もでていて驚愕! 

その中で、注目に値する書籍と、その論説に対する私なりの解釈を紹介してみたいと思います。


紹介書籍: 限界費用ゼロ社会 〈モノのインターネット〉と共有型経済の台頭 ジェレミー・リフキン (著), 柴田裕之 (翻訳)

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この本は2015年に発売された経済書籍。一読された方も多いでしょう。

なにをいまさらそんな古い本で!という人も多いことでしょう。
ところが、これが今読み返すととても面白い。
書籍内で指摘されている潮流が現実化・加速化してきており再読の価値大です。要所と私なりの解釈を書いてみます。


●ポイント1:限界費用とは

限界費用とは生産量を最小の1単位だけ増加させる時の総費用の増加分です。例えばパン工場でパンを一個追加生産するとそのぶん小麦粉代+光熱量がかかります。これが限界費用です。


●ポイント2:限界費用がデジタル化によりゼロに近づく

デジタル化は、商品・サービスの限界費用をゼロに近づけていきます。ASPやクラウドサービスなども、従来のシステム開発構築に比べて極めて廉価に使えていますよね。
Webサービスやスマホのアプリケーションに至っては、ただダウンロードするだけ。これらの限界費用ぼほぼゼロといえます。自社保有からカーシェアへ、CDからSpotifyへ・・・どれも生産量(≒使用)を最小の1単位だけ増加させる時の総費用の増加分はゼロに近づいています。


●ポイント3:限界費用ゼロは 所有から共有 を意味する


限界費用がゼロに近づいた社会においては所有の概念が希薄化するとリフキンは提唱しています。
所有は近代を成立させた重要な概念のひとつです。17世紀にジョンロックが所有権を定義したことで私有財産が自然権に由来する権利として保障され、後の資本主義社会の理論的な礎が築かれました。
所有の概念が資本主義社会を根底で支えていることは、共産主義のマルクスや無政府主義のプルードンも指摘しており、故に資本主義と社会主義の対立の根拠ともなっていました。
所有に支えられた資本主義は、大量生産大量消費を招き、製造増=付加価値増はGDPを増やすことにつながります。

●ポイント4:所有から共有への変化は精神意識の変化へ


所有を前提とした資本主義が後退し、共有型経済が主流になるにしたがって人々は共有をスムーズに推進するための精神性を獲得します。資本主義の消費と所有の欲望に駆動された精神から、他者との共有つまりの共感が重視されるようになります。
共感はさらに精神的発展をもたらし人間だけでなく動物や自然環境に対する共有へと広がります。それにより動物や自然環境に対する責任意識を育み、地球全体の生物圏へと意識昇華します。


最後に

平成の30年間で、一番大きく変わったことといえば、「若者がモノを買わなくなった」ことともいわれています。確かに収入が伸びない少ないという経済的理由もありますが、それだけであれば近年の若い世代の間でエコロジー意識が高い理由に結びつきません。

所有から共有さらに共感へと広がった精神性が、エコロジー意識の向上につながり、SDGsやESGの考えに合流していっているといえるかもしれません。

そう考えると、デジタル業界の我々は、人間精神に影響を与え時代の潮流を変えている立役者ともいえますね。

IoT、AI/ML、ブロックチェーン、Fintechを始めとするX-Tech・・・・
デジタイゼーション(Digitization)とデジタライゼーション(Digitalization)・・・

DX時代の今、さまざまな言葉が飛び交って、みな日々のタスクに追われていますが、この限界費用ゼロ社会においては、自社利己主義に走らず、共有・共感、エコロジー意識が大切であることに気づかされる一冊です。

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