【中国日誌】892日目 24.1.30
曖昧さは、自由度を内包する。ゆえに曖昧な話には、聞き手側の自由な想像が、入り込む余地がある。ゆえに、聞き手側は、自分にとって、最適な、想像に、話を引っ張ることができる。一方で、厳密な話は、面白くない。新聞や、法律、取扱説明書は、厳密に書かれている。ゆえに、私好みの方に、話を引っ張ってくる事は、できない。ゆえに、そういったものに対しては、私が、相手に、あわせなければならない。だから、つまらないのである。だから、めんどくさいのである。曖昧さというのは、枠組みを与えながらも、多様な解釈を、得ることができる。自分の厳密な考えから、多様な、ピボットされた、多角的な、発想へと至れる。私だけでは、それを成すことができない。私が常に、厳密な、話をしてばかりいれば、私は私の軸に、囚われてしまう。私は、もっと曖昧になるべきである。そのあいまいさから生まれる、他者の解釈の齟齬を、楽しむべきではないだろうか。そこから、別の私が、生まれてくるのだから。曖昧さに、感謝を。
朝4時に起き支度と日課。8時に出社。18時半に退社。HSK4級のテストを初めてした。時間は測っていなかったが、73%点。合格はするようであるが、伸びしろは、まあ、自分の感覚とだいたい、同じくらいの30%はあるようである。そこが、埋まってくれば、もっと、会話の聞き取りが楽になるかもしれない。この30%が、私の理解のずれを引き起こしているのだから。ピアノ30分して、ご飯食べて、20時過ぎには、たぶん、寝た。
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