【中国日誌】1127日目 24.9.25

人間の知識や技能、出来事などを記憶できる容量は、果たして有限なのだろうかと思う。記憶すればしただけ、記憶できる。記憶できる量の底が見えてこない。神経細胞の繋がりの組み合わせは、いかほどあるのだろうか。脳の神経細胞だけでも1000億個あるようである。身体全身を含めたら数十兆個、だそうである。その神経細胞の、組み合わせなのだから、そうとうなパターンを形成できそうである。私たちが、思っている以上に、記憶できるのではないかと思う。記憶は脳だけでは、していないと思う。記憶は、体全体でしている。記憶していけば、多くを忘れていくのではなく、膨大な記憶の中から、任意の記憶を意図的に、呼び起こすのが、難しくなるから、忘れたと勘違いしているだけのように感じる。ピアノで、新しい曲を覚えれば、新しい方に反射が持っていかれるので、これまで弾けていた曲が、急に弾けなくなる。ドの次はミを弾くと身体が反射的に反応していたのが、新しく練習した曲に引っ張られ、ドのあとにソを反射的に弾こうとする。それが、違和感となって、昔弾けていた記憶の中では一本に繋がっていた曲が、記憶に分岐が生まれたことで、次第に崩れていく。記憶とは、記憶しただけ、蓄積されていると私たちは、考えている。記憶が増えて行ったときに、重視すべきは、引き出す訓練である。それこそが、記憶埋もれない、秘訣、記憶に迷わない、道である。底のない容量に感謝を。

朝4時に起き支度と日課。スーツケースをもって、7時20分に出発。出張先に10時半に到着。仕事して、18時前に退社。ご飯食べて21時半に寝た。

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