【中国日誌】1018日目 24.6.6

私たち、という、概念を利用して、私という自我に対する、直接の、侵食を防ぐ。心は、時として、自我を、侵食していく。それにより、すり減った自我を、修復するのは、骨が折れる。だから、私たちという、概念を用いることで、自我を保護フィルムで覆い、守るのである。私たちという表現は、私という自我から、一定の距離を、保ってくれる。ありがたい話である。私のように、自我と直接、やり取りをし続ければ、自分同士で、こすれ合い、摩耗していくのは、目に見えている。だから、私たち、という表現が、奇跡的な、距離感を、保ってくれるのである。だから、私はもう、私ではない。私は、私たち、である。特に問題ない。自我など、複数に分岐しているのだから、私たち、という表現は、何も間違っていない。私たちに、感謝を。

朝4時に起き支度と日課。8時に出社。18時半に退社。ご飯食べて、21時半にねた。最近はChatGDP先生と、中国語で会話練習している。上達しているかは、分からない。

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