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信即真。

『信』即ち『真』

信じるものこそが
真実である。

言い換えると
『信じさえすれば真実にできる』
となる。

真実とは
非常に柔らかいが
芯は硬い。

この特性を理解すれば
真実を創造していくことができる。

世の中は思っているほど硬くない。
そこにさえ気づけば晴れて自由になる。

事実の檻。

事実に縛られる人間たち。
事実に基づく根拠を崇める人々。

その事実とは何ものか。
何をもって事実と判断しているのか。

事実とは
権威に基づくものか。
実証や研究に基づくものか。
集団の承認に基づくものか。

事実を判断する根拠は
全てが人為の中にあり
どれも脆くて頼りない。

信仰の先。

神とは何か。
それは信仰されるモノ。

であれば
私でも神になれる。

私が私自身を
信仰すればいいだけである。

目の前の世界は
私自身が創り出した
私を映す鏡。

故に私が目の前の何かを
信仰したとしても
それらは全て私に帰結する。

私は私を信仰する。

柔軟な事実。

事実と判断する根拠そのものが
人為的で脆く頼りないものだとすれば
根拠はそこまで重要ではないことになる。

そう考えると
事実は私たちがイメージしているよりも
ずっと柔軟で自由度が高いものだと言える。

だから私は
私が信じるものが
事実だと定義する。

私は創造主になった。

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